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三浦組|事業承継のためのDX~前編~

南津軽郡、1万4,000人商圏の町で「地域の家守り」が育む、信頼と次世代への絆

目次

  1. 「何かあったら三浦組」—地域に根を張る“家守り”の戦略
  2. 逃げるように戻った家業と、経営者としての覚悟が芽生えた出来事
  3. 地域での「縁」を育み、社員の「誇り」を育てる
  4. 新陳代謝の必要性 なぜ「60歳で社長引退」を決めたのか
  5. 社長の親心「アナログのままでは渡せない」

日本列島の本州最北端、青森県。国内有数のりんごの産地として名高く、三方を海に囲まれていることから魚介類の宝庫としても知られるなど、美しい自然と豊かな食文化を誇るこの地だが、経済・社会的な視点で見ると、その環境は決して甘くない。

県全域が豪雪地帯に指定されており、青森市周辺は「世界一の豪雪地帯」と呼ばれるほど冬の自然は厳しい。また、総務省の調査によると、2025年には人口減少率が全国2位、進学や就職などで転出した人が転入者を上回る社会減少率は全国1位となり、人口減少の深刻さが浮き彫りになっている。人口減少は地域経済にも影響を与えており、厚生労働省の調査において平均賃金が全国最下位となることも珍しくない(※)。

津軽平野の中央に位置する南津軽郡藤崎町。人口約1万4,000人のこの町で、創業70年を超える歴史を持つ建設会社がある。株式会社三浦組だ。

「何かあったら三浦組」——。地域住民からそう頼られる同社だが、その歩みは平坦ではなかった。三代目社長である三浦洋之さんが直面した若き日の挫折と、そこから芽生えた「人を守る」という強烈な覚悟。そして今、そのバトンを受け取ろうとする四代目候補で娘婿である三浦直樹さんの挑戦。厳しい環境下で「家守り」としての使命を全うしようとする、ある家族と社員たちの実直な挑戦の記録として、本記事をお届けする。前編では、同社の事業内容や強みを紹介しながら、三浦さんが抱く地域への想いや「人との縁」をつなぐ取り組みに迫っていく。

(※)総務省「住民基本台帳に基づく人口、人口動態及び世帯数」https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/jichi_gyousei/daityo/jinkou_jinkoudoutai-setaisuu.html 
厚生労働省「令和5年賃金構造基本統計調査 結果の概況」の「都道府県別にみた賃金」によると、青森県は24万9,900円と、47都道府県で最下位(参照:厚生労働省ホームページ(https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/chingin/kouzou/z2023/dl/10.pdf

三浦洋之氏
株式会社三浦組 代表取締役社長
青森県南津軽郡藤崎町出身。弘前工業高校土木科、八戸工業大学土木工学科を経て、新卒で八戸の建設コンサルタントに入社。結婚を機に26歳で藤崎町へ戻り、家業である三浦組に入社する。土木の現場監督として従事したのち、2014年代表取締役社長に就任。
三浦直樹氏
株式会社三浦組 常務取締役
神奈川県川崎市出身。建築関係に進む友人たちの影響を受け、設計職を志して建築学科へ進学。在学中に三浦洋之氏の娘である現在の奥様と出会う。洋之氏に就職の相談をするうちに入社を打診され、青森へのIターンを決意。2021年に新卒で入社する。建築の現場監督として働きながら、常務取締役として洋之氏を支える。

「何かあったら三浦組」—地域に根を張る“家守り”の戦略

藤崎町を拠点に、弘前市・青森市・黒石市といった近隣エリアにおいて、「愛・感謝・信頼」をモットーにした家づくりに取り組んでいる株式会社三浦組。地域の気候風土を熟知した建築会社として、雪国で快適に暮らすための高性能住宅から性能向上リノベーション、古民家リノベーション、部分リフォームまで、建築事業を幅広く手がける地域密着企業だ。企画・設計・施工・アフターメンテナンスに自社一貫で対応できる体制を整え、木のぬくもりに溢れた「帰るのが待ち遠しくなる家」を形にしている。そのほか、地域の特産品であるりんごを保管する倉庫などの営農施設の建築や、産直施設「ふじさき食彩テラス」の建設にJV(※)として参加するなど、地域に根ざして幅広く手がけている。

※JV(ジョイントベンチャー):複数の建設企業が、一つの建設工事を受注、施工することを目的として形成する事業組織体

木のぬくもりが感じられる同社のモデルハウス

また、同社は、道路工事や河川工事、造成工事、文化財の修繕工事など、土木の公共工事も手がけている。一般的な経営論で言えば「選択と集中」が正解かもしれないが、同社はあえて「建築・土木の両輪」で走る道を選んでいる。

三浦洋之さん(以下、洋之さん): 民間工事一本に絞ってしまうと、資材高騰や景気変動の影響を受けやすくなるという経営上の理由もあります。ただ、最大の理由は、地域が抱えている困りごとを解決したいと考えているからです。安心・安全なまちをつくり、支え続けていくために、家づくりも地域のインフラ整備も、私たちがやれることは全部やりたいと考えています。

株式会社三浦組 代表取締役 三浦洋之さん

実際に、同社が扱っているのは、1日で終わる土木工事から半年以上かかる大規模リノベーション、注文住宅の建築まで、工事の種類や工期はさまざま。この全方位型の戦略を支えるのが、同社の「技術力」だ。大工6名、土木作業員5名を正社員として雇用し、解体から基礎、木工事、外構まで自社一貫で施工できる体制を持つ。さらに特徴的なのが営工一貫体制だ。営業、設計、積算、現場管理までを、一人の監督が一貫して担当する。

洋之さん: 大手ハウスメーカーさんのような分業制とは真逆です。でも、お客様からすれば、最初から最後まで「この人」が担当してくれるという安心感がある。意思疎通のズレがなく、品質が担保される。これがお客様の満足度につながっているんです。

そしてもう一つ、後継者である常務取締役の三浦直樹さんが「最大の強み」と語るのが、目に見えない「地域からの信頼」だ。神奈川県からIターンした直樹さんは、入社当時の衝撃をこう振り返る。

三浦直樹さん(以下、直樹さん): 「困ったら三浦組に相談しよう」と思っていただける、絶大な信頼を得ていることが当社の大きな強みだと思います。用事がなくてもフラッと立ち寄ってお話をしていくお客様もいらっしゃいますし、現場で近隣の方とお話をしていると、作業着を着ていなくても「ああ、三浦組さんね」と安心していただくことが多いです。自社職人を抱える機能的な強み以上に、地域のコミュニティにしっかりと根ざしていることこそが、他社には真似できない資産だと感じました。

株式会社三浦組 常務取締役 三浦直樹さん

 

逃げるように戻った家業と、経営者としての覚悟が芽生えた出来事

今でこそ「地域のためなら何でもやりたい」との信念を持つ洋之さんだが、家業を継ごうと決めたときは「今のような前向きな想いではなかった」と明かす。

洋之さん: 新卒で入った建設コンサルタント会社には、頭ひとつ飛び抜けて仕事ができる同期がいましてね。徐々にレベルの差を感じるようになり、焦りが募っていきました。その頃ちょうど結婚が決まり、「いいきっかけだ」と自分を納得させて、逃げるように実家に帰ってきたのが本当のところかもしれません。

26歳で藤崎町に戻り、洋之さんは同社で新しいスタートを切った。しかし、入社から2カ月ほどたった1996年12月25日、洋之さんや同社で働く人たちにとって非常に痛ましい出来事が起きる。

洋之さん: 道路の側溝設置工事において、吊り上げていたコンクリートの側溝が滑って落下し、下にいた作業員の方が亡くなる事故が起きました。朝は元気だった方が亡くなってしまったことが26歳の私には受け止めきれず、ただうろたえるばかりでした。

亡くなった方が生きていれば、お子さんの結婚やお孫さんの誕生にも立ち会えたかもしれません。そんな幸せを奪ってしまったことに胸がつぶれる思いでした。遺族の方々の悲しみと生活への不安に寄り添うのは当然として、関係各所への対応、地元での評判、会社の資金繰り……とさまざまな不安が重なり、もうこのまま倒産してもおかしくないとさえ感じました。

その日を境に、将来経営を任される立場として、「社員とその家族の生命を守るのが、私の大事な役目だ」と考えるようになり、仕事に対する考え方が少しずつ変化していきました。また、このような事故が起きてしまいましたが、地域の皆様のおかげで現在まで当社は事業を継続できています。ですから、より一層地域に貢献したいとの思いも強くなりました。

その後、2014年に洋之さんは42歳で三代目の社長に就任。当時は、政府の事業仕分け施策によって大幅な公共工事削減が打ち出されたころだった。洋之さんは、「このまま同じように事業を継続していてはだめだ。未来のためにも経営をしっかり学びたい」と考え、2015年に京セラ創業者・稲盛和夫氏の経営哲学を学ぶ「盛和塾」に入塾したという。

洋之さん: 盛和塾に入塾するまでは、正直「仕事を終えて早く帰りたい」と思うこともありました。ただ、盛和塾で建設業以外の経営者とともに学び、刺激をもらうことで経営に対する考え方が大きく変わりました。

当社の経営理念は、「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、信頼され続けるように感謝の気持ちを持って地域貢献すること」です。盛和塾での教えに加え、従業員と地域への想いを経営理念に込めています。利益も大事ですが、何よりも社員が「ここで働いてよかった」と思える会社にする。その覚悟が決まったことが、今の三浦組の原点です。

「全従業員の物心両面の幸福を追求する」という理念は、同社の就業環境にも表れはじめている。同社は2020年、「あおもり働き方改革推進企業」の認定に向けて、会社として行動計画を策定し、HP上で公開した。男女ともに安心して働けるワークライフバランスの整った職場づくりを進め、認定取得を実現している。

洋之さん: 「あおもり働き方改革推進企業」の認定取得は、男性大工2人が「育児休業を取得したい」と申請してきたのがきっかけでした。2人が同時に抜けるのは会社として痛い部分もありましたが、子どもの成長にはそのときにしか感じられない幸せがあると考え、社内で準備を進めて2人とも育児休業を取得しました。

 

地域での「縁」を育み、社員の「誇り」を育てる

洋之さんの「人を大切にする」という哲学は、深刻な人手不足に悩む建設業界において、驚くべき成果を生み出している。その象徴が、若手エース大工・水木さんと、女性大工・吉田さんの存在だ。彼らの入社経緯は、一般的な求人活動とは全く異なる。

洋之さん: 水木との出会いは、私の高校の先輩でもある野球部の監督からの紹介がきっかけです。昔から「いつかは自分も地域の子どもたちのために野球教室をやりたい」と思っていて、個人的に始めた野球教室の活動がありました。そうした活動を見て信頼してくださり、教え子の水木に「三浦組に行ってこい」と勧めてくださったんです。リクルート目的ではない純粋な地域貢献や、先輩との縁を大切にし続けてきたことが、巡り巡って素晴らしい人材との出会いにつながりました。

しかし当時、社内の職人はベテランばかり。若手が孤立しかねない環境で、洋之さんがとった行動は、常識外れの「投資」だった。

洋之さん: 定着してくれるか不安があったので、野球教室でお世話になったプロ野球選手のキャンプ地に水木を連れて行ったんです。「お金はどう使ってもいいから、行ってこい」と送り出して。仕事以外でも新しい経験をして、「この会社にいると楽しい」と感じてもらいたかったんです。

この型破りな投資は、若手職人の心を掴んだ。水木さんはその後、メキメキと腕を上げ、20代にしてモデルハウス建築のリーダーを任されるまでに成長。高校の後輩たちにも自身の体験を語り、それがまた次の採用へとつながっている。 さらに、女性大工の吉田さんの入社もまた、洋之さんの「言葉」がきっかけだった。

洋之さん: 母校の弘前工業高校の野球部監督から「生徒に話をしてくれ」と頼まれたんです。建築の話をしても面白くないだろうと思って、盛和塾で学んだ「人生の結果=考え方×熱意×能力」という方程式の話や、働くことの意味について話しました。そうしたら後日、学校から電話があって「社長の話を聞いて、入社したいと言っている女子生徒がいる」と。

直樹さん: 今、工業高校生の求人倍率は20倍を超える(※)とも言われます。それが、向こうから「入りたい」と来てくれる。社長が積み重ねてきた「縁」と、それを大切にする姿勢が、採用という形になって返ってきているんだと思います。

(※)工業高校卒業者に対する求人倍率は20.6倍という調査もある(参照:「令和5年度 卒業者等に関わる状況調査結果(2023年調査)」P5, 公益社団法人 全国工業高等学校長協会(https://zenkoukyo.or.jp/web/content/uploads/R05sotsugyo_kekka.pdf))

三浦組では、採用後の「誇り」の醸成にも余念がない。モデルハウスや完成見学会には、実際に施工した大工も同席させるという。

洋之さん: モデルハウスや完成見学会では、家に一歩足を踏み入れた瞬間、お客様は「わぁすごい!」「こんな素敵な家、初めて見ました」といった感嘆の声を上げてくださいます。今までは私や現場監督しかその声を聞いていなかったのですが、「これは大工にもぜひ聞かせたい」と思い、水木が初めて親方として担当した最初の物件ということもあって、彼を同席させてみたんです。お客様の反応をダイレクトに感じてから、水木の仕事ぶりも変わったと思います。職人は普段、褒められる機会が少ない。でも、自分の仕事が誰かを感動させていると知れば、目の色は変わります。モチベーションも、誇りも、そこで育つんです。

また、同社は人材育成にあたって、社員一人ひとりの成長を促し、技術を磨き続けられる環境の整備も忘れてはいない。例えば、社員の資格取得を推奨し、取得にかかる費用は合否に関わらず会社が全額負担する。

洋之さん: 新人大工には、職業訓練校に通って基礎的な知識や技能を習得しながら、青森県優良住宅協会主催の青森大工技能者育成アカデミーで道具の手入れや墨付け、断熱技術など実践的な技術を学んでもらっています。研修は仕事の一環なので、いずれも就業時間内に通学させています。

一人ひとりの適性や希望を考慮して、適材適所でキャリアを積んでいける支援も行っています。以前には、大工として採用した人材が土木作業員へと転換した事例がありましたが、今後は大工が施工管理を目指せるキャリアパスも設計していきたい。職人として極めるもよし、マネジメント側に回るもよし。この会社で長く活躍できる多様な選択肢を用意するのが、経営者の務めだと思っています。

 

新陳代謝の必要性 なぜ「60歳で社長引退」を決めたのか

地域での信頼、人との縁を大切に育み、今では若手が自然と集まる会社へと成長してきた同社。2020年には、娘婿である直樹さんが同社に参加し、さらに組織が活性化している。

そんななか、洋之さんは自身が60歳になったタイミングで社長を引退し、四代目となる直樹さんに会社を託すと決めている。洋之さんは現在53歳。社長交代時の平均年齢が68.6歳という調査結果が出ている(※)ことなどから考えても、早い段階での事業承継と言える。この決断の背景にはどんな想いがあるのだろうか。

(※)参照:「全国「社長年齢」分析調査(2024年)」帝国データバンク, https://www.tdb.co.jp/report/economic/20250325-presidentage2024/ 

洋之さん: 最近になって「お客様が求めていること」と「自分が良いと思うこと」の間に徐々にズレが生まれている感覚を抱くようになりました。今はまだ大丈夫かもしれない。でも、いずれそれは対社員との関係でも起きてくるはずです。組織には新陳代謝が必要です。あと7年、60歳を迎えるまでに、次世代の経営者を育てるのが今の私の仕事です。

そのバトンを受け取るのが、常務の直樹さんだ。神奈川の大学を卒業し、結婚を機に入社した直樹さんは、当初から「後継者」としての道を歩むことになった。

直樹さん: 実は、入社前に社長(当時の義父)に「就職どうするの? うち来る?」と軽く聞かれたんです。「ちょっと考えさせてください」と答えて、1週間後に「お世話になります」と伝えたら、「え、マジ? いいよ」みたいな軽い感じで(笑)。でも、入ってみて社長の懐の深さや、地域からの信頼の厚さを知りました。

洋之さん: 二人とも来てくれて、本当に嬉しかったですよ。

直樹さん: 最初に「60歳で引退する」と聞いた時は、正直「思ったより早いな」と思いました。あと10年を切っている。でも、そこまで明確に期限を切って「任せる」と言ってくれた以上、その期待を裏切りたくないですし、何より社長が築いてきたこの会社を、もっといい形で未来に残したいという思いが強くなりました。

直樹さんが未来への責任を口にする一方で、洋之さんもまた、バトンを渡すまでの残り7年で「やり遂げなければならない仕事」を見定めていた。それが、アナログな建設業の常識を変えるDXへの挑戦だ。

 

社長の親心「アナログのままでは渡せない」

7年後に見据えた事業承継。そのために避けて通れない課題が「業務の属人化」の解消だった。 洋之さんは、「これから会社を背負っていく次世代のために、業務効率化と生産性向上が必須だ」と確信し、DXへの投資を決断する。業務のデジタル化を進めるのは、地方の建設会社にとって決して低いハードルではない。しかし洋之さんは「今はじめないとタイミングを逃す」と、自らを奮い立たせた。

そして、DXの推進に向けて導入を決めたのが「ANDPAD」だった。数ある製品のなかからANDPADを選んだ理由にも、洋之さんが引き寄せた「縁」があった。

洋之さん: 私も参加している一般社団法人日本多能工協会の代表理事であり、以前から相談に乗ってもらっていた、ゆうき総業株式会社(山形県上山市)代表取締役社長の結城さんがANDPADを活用していて、「ANDPADはいいよ」と評判を聞いていました。そんなとき、たまたまアンドパッド担当者から電話があり、話を聞いてみることにしたんです。普段は営業電話にはほとんど出ないのですが、本格的に検討しはじめたタイミングで電話がきたので、不思議な縁を感じましたね。

ゆうき総業株式会社 代表取締役の結城さんへは、以前にANDPAD ONEでも取材をさせていただいた

採用もシステム導入も、三浦組の転機には常に「人との縁」がある。しかし、導入を決めた最大の理由は、やはり「親心」だった。

洋之さん: 正直、今までのやり方を変えるのは大変です。でも、今後100年企業を目指すにあたって、次世代がやりやすい環境を整えるのは私の最後の仕事だと思いました。 直樹に会社を渡す時、アナログで非効率なままの状態では苦労をかける。デジタルで情報が整理され、どこにいても状況がわかる仕組みを作ってからバトンタッチしたい。DXは、私から次の世代への「準備」であり、これからの100年を作るための「土台」なんです。

地域での信頼、若手職人の育成、そして後継者へのバトンタッチ。「人」を大切にする洋之さんの経営は、次世代のために「DX」という新たな武器を手に取るところまで進んだ。「アナログのままでは渡せない」という親心は、100年企業への確かな礎となるはずだ。

しかし、決意だけで乗り越えられるほど現実は甘くない。 彼らが走り出す前には、北国特有の過酷な環境と、同社の強みが生んだ、ある構造的な壁が立ちはだかっていた。後編では、理想と現実の狭間で揺れ動くDX推進の現在地と、課題解決に挑む親子の奮闘に迫る。

株式会社三浦組
URLhttps://miura-gumi.jp/
代表者代表取締役社長 ​三浦洋之
創業1952年
本社青森県南津軽郡藤崎町大字葛野字岡元18-3
企画: 平賀豊麻
編集: 原澤香織
執筆:保科美里
デザイン: 森山人美、岩佐謙太朗
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