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広島県で1984年に設立以来、まもなく40周年を迎えようとしている旭ホームズ株式会社。地域密着型の工務店として、気密性能を重視した注文住宅の新築や性能向上のリノベーションに取り組んできた。「建設業とは信用積立業」という経営理念は、「受注ノルマ・コミッションは一切ない」という宣言や、毎期の決算内容をホームページ上に掲載しているといったことにも表れている。
同社はANDPADを2021年に導入し、2022年からはANDPAD引合粗利管理とANDPAD受発注も導入。今回は、子育てを機に家業を継ぐことになった代表取締役 末岡京子さん、広島県が新設した男性育児休業制度では初の取得事例となった営業部長 名藤健治さん、同じく育児休業を取得した営業アシスタント 金子裕美さんにインタビューを実施。前編では、末岡社長が会社経営で大切にしていること、それを実現するための仕組みづくりについて話を伺った。
子育てでどんなに時間がなくても、くじけず勉強し続ければ必ず一人前になれる
末岡さん: 当社は広島市佐伯区五月が丘に本社があり、商圏はそこから車で片道30~40分で行ける範囲です。五月が丘は広島市内の中央あたりに位置しており、市内の東西南北どこもだいたい同じ時間で行けるのが特徴です。また、近くに高速道路のインターチェンジがあるため、多少離れた場所でも車で現場に行けます。この辺りは広島市も開発に力を入れている団地で、アウトレットやモノレールがあり、地価は昔に比べて倍近く上がっています。このあたりは約50年前に造成され、70~80代の高齢者の方が多かったのですが、現在は若い人が戻ってきて、新築や中古リノベーションなどによる地域再生が始まっています。以前は「過疎化の団地」としてニュースで紹介されていましたが、ここ最近は「奇跡の団地」と評価されるようになりました。
私はもともと、大手ゼネコンの広島支店で営業事務として働いており、結婚を機に退職しました。それから双子が産まれて子育てをするなかでは、嬉しいこともあれば当然大変なこともたくさんありました。実家が近く、母が祖父母を介護していたこともあり、それぞれ大変な子育てと介護をしている者同士、お互い助け合おうということで母から同居を提案されました。夫にそれを伝えたら快く賛成してくれて、3年ほど実家で一緒に住んでいました。当社の現会長である父は当時、現役の社長でした。
旭ホームズ株式会社 代表取締役 末岡 京子 氏
末岡さん: 私は幼少期から大工さんが家に出入りするような環境で育ちました。やがて就職し、結婚して子どもを産んで育てる中で、自分の価値観が変化していたのに気付きました。知らず知らずのうちに父の背中を見ながら、父が帰宅した後には仕事の話をしたりするなかで、当たり前に存在していた旭ホームズという会社が「これからどうなるのかな」とふと思うようになったのです。それまで深く考えたことはありませんでしたが、父がだんだん年を重ね、大病を患ったこともあり、「自分に何か手伝えることはないかな?」と思ったのが社長を継いだきっかけです。
その意味では、もし双子が産まれていなければ、私は今ここにいなかったでしょう。家業が近すぎて昔の視界では見えなかったものが、一度家を出て戻ったときにクリアに見えるようになった。そんな感覚です。
名藤さん: 私は広島県外のサッシメーカーで工務店営業として働いており、父が体調不良になったのをきっかけに広島へ戻りました。当時、私の父は経営者として仕事で旭ホームズにお世話になっていました。最終的に父の事業はたたまざるを得ませんでしたが、それまでの間、旭ホームズからは継続して仕事をたくさんいただくなかで、現場で成長できる機会も多く「旭ホームズはいい会社だな」と感じていました。その後、私は大手住宅設備の代理店に就職しましたが、将来について悩んでいたときにちょうど会長(当時は社長)にお声掛けいただき、代理店を退職して旭ホームズに入社。もう16年が経ちました。会長がどこまで覚えているか分かりませんが、当時元請けと下請けの関係性だった頃に時間をとってもらって話をする機会があり、そのときに(競争優位性のためにも、そこから来る自信や自尊心のためにも)「資格は取っておいたほうがいい」と提案されたことがあったんです。会長のその言葉が原動力になって資格を取ることを決めました。その後、入社してから第三子が産まれるタイミングで広島県初の男性育休を取得したという流れです。
旭ホームズ株式会社 営業部長 名藤 健治 氏
金子さん: 私は2018年に入社しました。前職では電設資材の卸の会社で営業事務として勤めており、子どもができて産休、育休を取ってから一度復職しました。ただ、子どもを育てながら働くということに対してはいろいろな意見・立場の人がいる。「ここでは子育てが厳しいかな」と感じたのが退職理由です。それでもある程度の収入は必要でしたから、すぐに転職を考えました。住まいが五月が丘で、そのエリアで求人サイトを探していたら見覚えのある会社が掲載されていました。「あのよく行くスーパーの前にある会社だ」と目に付いたのが当社だったのです。家から近く、関わっていた業界と近しいこともあり、ぜひ話を聞いてみたいと応募しました。
旭ホームズ株式会社 営業アシスタント 金子 裕美 氏
金子さん: もともと絵を描いたりするのが好きなんです。ちょうどインテリアコーディネーターとしての募集が旭ホームズであって、この職に就いたら何かをつくり出すことができるかもしれない、と興味が湧きました。面談のなかで、家づくりにもさまざまな方法があり、大手ハウスメーカーとは別の切り口で取り組んでいる会社もあるんだとそのとき初めて理解しました。当時、子どもはまだ1歳。子どもの体調不良で急に仕事を休まなければならない可能性も高く、会社からすればそのような人を社員として雇用することにはリスクもあったかもしれません。ですが「それはそういうものだから」と末岡社長に理解を示していただき、未経験ではありますが無事採用されました。
末岡さん: 私自身も子育てしながら当社に入り、住宅について一から勉強してきました。金子とほぼ変わらない状態だったわけです。「やったことがないからできない」のではなく、やる気さえあって勉強すれば、いずれできるようになります。たしかに子育てしながら勉強に時間を割くのは大変です。何をするにしても、普通の人の倍は時間がかかるでしょう。普通の人なら3〜5年でできることが、6〜10年かかるかもしれません。ですが、めげない心を持ち、くじけずやり続ければ必ず一人前になります。それに、お客様に対して子育て経験があるプロとして住宅の提案をできるようになりますから、子どもがいることをネガティブにはまったく見ていません。
名藤さん: 当社は「建設業とは信用積立業」という経営理念を掲げていますが、建設業には建物を建てる前と建てた後、大きくこの2つのフェーズがあります。特に建てた後のお客様に対するきめ細かなメンテナンスを大切にしていて、その一つひとつにしっかり取り組むことで信用を少しずつ積み立てていく。お客様が家を住み継いだり、処分したりするときまでずっとお手伝いができるような信頼関係を築く。それこそが建設業の本分だと考えています。
家を建てるといずれ相続問題に直面します。お客様の遺言書に「何かあったときは名藤に言ってほしい」と自分の名前を書いてもらえる。そんな信用を得られるような仕事をしていきたいですね。
広島県で初の男性育休取得ができた背景にあった「仕事の引き継ぎやすさ」
旭ホームズでは子育てしながら働く社員が多く、特に金子さんは現役の子育て世代。また、末岡さんと名藤さんは同世代で子育てを経験してきた。産休・育休を取りやすい環境づくりに励んでいたが、実際に休みを取ることになったとき不安はなかったのか。
名藤さん: 私のケースは、中小企業での男性育休取得としては広島県初の事例となりましたが、実は会社からの提案でした。
末岡さん: 2010年ごろ、当社に「広島県で男性育休制度ができた」という案内が来ました。当社は広島県の「仕事と家庭の両立支援企業登録制度(*)」に登録しており、その企業を対象に送られたのかもしれません。私は「まさに対象者が当社にいる。これは絶好のチャンスだ!」と思い、名藤に育休取得の申請を提案しました。当時、名藤は営業係長で現場のリーダーだったので、育休取得には不安もあったと思います。過去に男性が育休を取得した事例はほとんどありませんでしたし、本当に会社に戻れるのかという疑問もあったでしょう。当時は男性が育休を取ることが珍しい時代でしたから。
末岡さん: 名藤にはすでにお子さんが2人いて、第三子が生まれるというタイミングでしたので、育児を経験している私としては「奥様も何かと大変だろう」と感じていました。「名藤君が休んでくれたら、奥様が下の子の面倒を見ている間に上の子どもたちの送り迎えができるね」という話もしました。広島県が制度として設けて補助金も出るということで、本人も休みやすいし、周りの人も理解しやすい環境が目の前にできました。せっかくだから「とりあえずやってみないと分からないからやってみよう」という応募しました。別に広島県第1号を狙っていたわけではなく、申し込んだらたまたま最初の事例となったのです。
名藤さん: いざ休むとなると問題になるのが仕事の引き継ぎです。ただ、当社の場合は週1回の会議でのお客様や現場に関する情報共有が慣行になっていたため、ANDPADのようなツールを使っていない当時ですら比較的スムーズでした。
末岡さん: 当社は小さな会社ですから、会長も「全員の現場を全員が知っておこう」という方針でした。仮に担当者が病気などで会社を1ヶ月以上休むという事態になれば、誰かがその代わりに対応しないといけません。そのとき「現場に行ったことがありません」というのでは困ります。ですから会議を通じて頻繁に情報共有は行っていましたが、今現在ANDPADを活用して情報共有をしている状態と比べると、当時は情報共有に手間取る部分もあったなと、振り返ると思いますね。
特に新築住宅については、どんな場所でどんなお客様が家を建てるのか、お互いに知っておかないと対応できない。そのため同社では、地鎮祭と上棟式は全員参加というルールがあり、それは現在も変わらないのだそうだ。
金子さん: 私は2020年9月から2021年6月まで、第二子が産まれるタイミングで産休、育休を取得しました。広島市には育児世代が集まってきており、保育園はどこもいっぱい。0歳児クラスのうちに入園させないと枠が埋まってしまいます。ですから保育園に残り枠を随時聞きながら職場復帰の時期を決めました。
第二子の産休に入ったのは、未経験からインテリアコーディネーターの勉強を始めて間もないころで、一人前になる前に仕事から離れる不安はありました。仕事をお休みしている間にも、知識を入れておいたほうがいいと思って自主的に勉強もしていました。産休に入る前に担当していたお客様については、社長がうまく引き継いでくださいました。産休・育休中も、時間があれば地鎮祭に顔を出したり、情報はすべて共有できていました。子育てで休むという理由で、お客様との関わりを断つことはしたくなかったのです。とはいえ、お客様のことは全員がきちんと把握していますから、打ち合わせが大変ということもなく安心して引き継ぐことができました。
会社が社員を信頼していたからこそ、若い世代が活躍できるように
名藤さんが広島県初の男性育休を取得し、金子さんが業界未経験で1歳の子どもを育てていても採用されたように、同社には「とりあえずやってみよう」の精神があり、それによって社員は会社からの信頼を感じ、働きやすさに繋がっている。
末岡さん: 私が入社して少し経ってから、若い人たちを中心に会社を回していってみようという雰囲気が出てました。私、名藤、専務、工事課長の4名が同世代の子どもを育てていたこともあり、YG(young generation)会というものを30代前半の社員を中心に結成し、打ち合わせしたりしていました。会長はYG会を静かに見守ってくれましたね。もちろん、よほどおかしな発言をすると会長が「これはこうしたほうがいいんじゃないか」とアドバイスしてくれることはありましたが。その頃から「うちは来週に運動会がある」「うちはその次」といった感じで休日の情報をみんなで共有し、「それなら私が代わりにお客様対応をしておくね」という感じで連絡を取り合うのが定着していったのです。
名藤さん: お互いに仕事もプライベートも情報を共有しながら、それぞれの仕事に責任を持ちつつ、助け合う。このように自律的に仕事に取り組めるのは、会社がみんなを信頼してくれていると感じられるからこそだと思います。
末岡さん: 仕事を頑張るのは当たり前ですし、資格を取るのも当たり前です。「なぜそんなことをしないといけないんですか」と反論する人は1人もいませんでしたから、会社としても社員を信頼できます。むしろ、こちらがやりすぎではないかと心配するくらい、きちんと仕事をしてくれています。今思えば、私が入社する以前から、仕事に対する意欲が高い人が集まるベースが当社にはあったのかもしれません。
社内には社員が取得した資格免許証が掲げられている。
仕事に対する意欲や責任感があり、お互いに助け合いながら仕事をすることが当たり前という環境で、以前から情報共有も密にしてきた同社。そんな中、デジタル化によって社内外の情報共有をより強化し、業務効率化を図りたいという理由で同社はANDPADを導入した。後編では、実際に運用するまでの過程や運用後の課題、将来の展望などについてさらに聞いていく。
URL | https://asahihomes-h.com/ |
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代表者 | 代表取締役 末岡京子 |
設立 | 1984年6月 |
本社 | 広島県広島市佐伯区五月が丘2-8-26 |