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きよかわ|「会話」と「創造」ができる大工を育てたい―社員9人中8人が大工の地域工務店が目指す新しい大工像~Vol.1~

広島に根ざして100年、大工の父と3人の息子が手を取り合う大工工務店

目次

  1. 100年にわたって続く大工家系、だからこそ「使われる大工」に違和感を覚えた
  2. 設計、営業、不動産…自分なりの「強み」を身につけて戻ってきた三兄弟
  3. 「会話」と「創造」ができる大工を育て、経営理念の実現を目指す
  4. 意欲ある若手を集めるために、あえて手刻みを選択

広島県広島市安佐北区に拠点を置き、自然素材の魅力を最大限に引き出した心地よい家をつくり続けている株式会社きよかわ。大工の手仕事にこだわった家づくりを掲げる同社は、社員9人のうち8人が社員大工として働く大工工務店だ。また、同社の3代目となる清川伸二さんのもと、3人の息子も大工として活躍している、純度の高い大工工務店でもある。
同社が目指すのは、大工がお客様と「会話」をし、大工が自らの判断でより良い家を「創造」していく家づくりだ。この理想の実現に向けて、伸二さんと三兄弟は、最初から家業に入って大工として働くのではなく、全員一度ハウスメーカーやデベロッパーに就職して経験を積み、現場監督・営業・設計・不動産といった「+α」の強みを身につけてから家業に入った。現在では、新たに加わった社員大工にも強みを共有し、新しい大工の在り方を一緒に創り上げようとしている。
住宅産業の工業化によって効率の良い家づくりが進み、丁寧な手仕事で人々を魅了してきた「大工」という職業の存続が危ぶまれている。そんな現状を受け、同社は大工の手仕事に憧れ、「手刻みで腕を磨きたい」と考える大工を集めるべく、2024年から「全棟手刻み」の家づくりへと舵を切った。また、自分たちの手で建てた家を守り続けていくために、ANDPADを活用した情報管理体制の整備にも取り組みはじめている。

本記事では、「広島の暮らしの道標をつくる」を経営理念に掲げ、大工の在り方にも新しい道標をつくるべくチャレンジを重ねている同社の現在地と、これから目指す未来をVol.1〜3にわたってお届けする。

Vol.1では、時代とともに変化しつつある大工の在り方をふまえた上で、同社が確立を目指している「新たな大工像」について焦点を当てていく。また、三兄弟はなぜ家業を継ごうと決めたのか、工務店経営に取り組む家族のストーリーにも迫っていく。

清川 伸二氏
株式会社きよかわ 代表取締役
大正7年より大工業を営む家に生まれ、祖父・父の姿を見て大工を志す。建築系高校・大学へ進学し、卒業後はハウスメーカーに就職。営業として経験を積んだのち実家へ戻って大工工事に従事。1995年、清川住建の看板を掲げ独立。2007年に株式会社きよかわとして法人化、代表取締役を務める。
 
清川 創史氏
株式会社きよかわ 専務取締役 大工・設計担当
幼少期から大工である父に誇りを持っており、建築の道へ進む。建築系大学で学んだ後、社員大工の育成に力を入れる首都圏のハウスメーカーに就職し、営業として勤務。2018年に同社に参加。現在は、営業・設計・大工を兼務する。
 
清川 太視氏
株式会社きよかわ 常務取締役 大工・営業担当
大工として働く祖父と父を見て育ち、大工に憧れを抱く。建築系大学で学んだ後、広島県のハウスメーカーに就職し、住宅営業を2年間経験。その後、2019年に同社に参加。現在は、営業・広報・大工を兼務する。
 
清川 説志氏
株式会社きよかわ 大工・不動産担当
幼いころから大工という職業を身近に感じながら育つ。高校・大学では野球に熱中。大学卒業後はハウスメーカーに就職。その後、大手ビルダーに転職し、不動産の知識をつけたのち、2023年に同社に参加。現在は、広島県建築高等職業訓練校に通いながら一人前の大工を目指す。
 

100年にわたって続く大工家系、だからこそ「使われる大工」に違和感を覚えた

隣県の鳥取県智頭町の森林組合から仕入れた材木を用いて、木の温もりに溢れた家づくりをしている株式会社きよかわ。広島市安佐北区の本社から車で1時間圏内を施工エリアとし、注文住宅建築や性能向上リノベーションなどを手がけている。

株式会社きよかわの本社。取材は、木の香りに包まれた空間で行われた。

家のつくり手である「大工」が、住まい手である「お客様」と直接会話をし、家づくりを進めていくのが同社の特徴だ。ただ、大工の歴史を紐解くと、以前は大工が施主から家づくりを直接引き受け、打ち合わせから設計、予算管理、発注、大工仕事までを一貫して担うのが当たり前だったという。つまり今同社が実践している、お客様と会話して進めていく家づくりが一般的だったのだ。

しかし、太平洋戦争によって日本国内が戦火に見舞われたことにより、大工の在り方は大きく変わっていく。戦後は住宅不足が深刻化し、高度経済成長期には、住宅取得を後押しする経済政策が国を挙げて実施された。それにともなって住宅を効率的に量産・供給するハウスメーカー・ハウスビルダーが登場し、工場で生産した部材・構造を現場で組み立てるプレハブ工法・大型パネル工法、既製品がどんどんと普及していった。大工の仕事は徐々に分業化され、大工の手がける範囲は現場作業のみになっていった。家づくり全体を主導していた大工は、ハウスメーカーや設計事務所、工務店からの依頼がなければ仕事を続けづらい存在になってしまったとも言える。

この状況に問題意識を持ち、いち早くアクションを起こしてきたのが、同社の代表取締役・清川 伸二さんだ。まずは、伸二さんの経歴と、伸二さんが考える大工とはどんな存在なのかを伺った。

伸二さん: 我が家は祖父の代からの大工家系で、私で3代目になります。祖父と父の姿を見て育ちましたので、私も自然と建築の道へ進みました。大工として腕を磨くなら、高校を卒業してそのまま家業に入ることもできたのですが、これからの時代、きっと大工の在り方が変わっていくだろうと考え、あえて建築系の大学に進学し、卒業後はハウスメーカーに就職しました。一度外に出て社会勉強をしてからのほうが、大工として時代の流れに乗っていけるのではないかと考えたからです。ただ、父は、自分がしてきた苦労を子どもに味わってほしくないとの想いからか、私が大工になるのをずっと反対していました。

株式会社きよかわ 代表取締役 清川 伸二さん

伸二さん: ハウスメーカーでは注文住宅部門に配属になり、富裕層向けの住宅営業として営業の基礎を学ばせていただきました。ただ、入社当時から家業を継ぐことを見据えていたので、まわりには「3年間働いたら辞めます」と最初から伝えていました。当初の予定より1年長くなりましたが、4年間営業として勤めた後、父のもとへ戻って大工修業に入りました。

将来的には、自分の思う通りにやってみたいと考えていたので、まずは3年間、自己主張もせず、父についてひたすら大工工事を学びました。その後、長男の創史が3歳のときに独立し、きよかわの前身となる会社を起こしました。独立してからも、父とはお互いに一人の大工同士として助け合ってきました。

大工の役割が変化し、今ではハウスメーカーの社員が現場監督として入り、大工に指示出しをするような時代になってきています。優れた技術を持つ大工でも、自分で仕事を取れる器用さがなければ、ハウスメーカーから仕事をもらうしか生き残る道はありません。私も注文住宅の営業として多くの現場を見てきましたが、優秀な大工が「使われる存在」になっているのを目にするたびに、この現状を何とかしたい、大工のイメージを変えていきたいと考えていたんです。


戦後に訪れた大工の役割は、大工がこれまで担っていた仕事を受注するための顧客との「会話」および、施工管理から大工工事までの「創造」からなる仕事を、ハウスメーカーや設計事務所、工務店と分業した形であるとも言えるだろう。こうした時代の流れを踏まえ、伸二さんは「使われない大工」になろうと、家を「創造」するために大学では建築を学び、お客様と「会話」をするためにハウスメーカーでは営業を学んだ。その背景には、
「お客様と直接会話をして、自分で仕事が取れる大工になりたい」との想いがあった。

 

設計、営業、不動産…自分なりの「強み」を身につけて戻ってきた三兄弟

父のもとで大工の技術を学び、やがて独り立ちした伸二さん。独立以来、長年一人親方として歩んできた伸二さんにとって、大きなターニングポイントになったのが、長男・創史さんの参加だった。

伸二さん: 昔から家族の仲は良かったですね。妻と息子たちを連れてキャンプに出かけたり、野球に行ったりもしていました。ただ、息子たちが私の後を継ぐのかどうかはわかりませんでしたし、期待もしていませんでした。ですから創史が「実家に戻る」と言ってきたときには、正直驚きました。

創史さん: たしかに、父は私が実家に帰るとは思っていなかったでしょうね。私は、建築学科で設計を学んでいたので、将来はゼネコンか設計事務所に就職しようと考えていました。ただ、周囲がインターンに行きはじめた大学3年生の夏休みに、「どうせ職業経験をするなら、父と一緒に大工仕事をしてみよう」と思い立って、1カ月ほど広島に帰省したことが転機になりました。

株式会社きよかわ 専務取締役 清川 創史さん

創史さん: 1カ月間一緒に働くなかで、父がこれから挑戦したいことをいろいろと話してくれたんです。ただ、「ひとりでやるのは難しい」と二の足を踏んでいるようだったので、それなら私がいればできることが増えるだろうと思い、実家に戻ることを決めました。
その当時、父が思い描いていた構想のひとつに「大工を育てる工務店」がありました。ですから、私も父と同じく「入社3年で退職する」と心に決めて、大工育成に力を入れているハウスメーカーに就職し、営業を経験してから実家に戻りました。


幼少期から大工に憧れてはいたものの、実家に戻るつもりは全くなかったという創史さん。一方で次男・太視さんは、最初から実家で働きたいと考えていたという。

太視さん: 私は兄とは逆で、いずれは実家に戻ることを考えて建築系の大学に進みました。子どものころから大工の父に憧れていましたし、父は学校行事に合わせて休みを取ってくれていたので、私も父のように家族を大事にしながら働きたいと思っていたんです。ですから、大学卒業と同時に実家に戻ることを打診したのですが、そのときは父から「今は太視に任せる仕事がなく、自分が持っている仕事を分けることになってしまう」とやんわり断られ、まずは一度就職したほうがいいと勧められました。

それならば、父のもとに戻ったときに少しでも役に立つように、広島の住宅市場を学んでおこうと考え、地場のハウスメーカーに就職することにしました。私も3年は勤めようと考えていましたが、兄が戻って案件が増えはじめていたからか、2年後には「早く戻ってこい」と言われて(笑)、きよかわに加わりました。

株式会社きよかわ 常務取締役 清川 太視さん

三兄弟のなかで唯一文系の学部に進学したのが、三男・説志さんだ。説志さんは、野球のスポーツ推薦で大学に進学するほどの腕前だったが、高校時代には教師を志していたという。

説志さん: 高校時代は山口県で寮生活を送りながら野球に打ち込んでいました。いずれは教師になりたいと思っていたので、最初は実家に帰るつもりは全くなかったです。ただ、これまで野球に力を入れていたこともあり、当時の顧問に「スポーツ推薦で大学に入れ」と強く勧められ経済学部に進むことに。進学後、幼いころに憧れていた大工になりたいという気持ちが芽生え、将来は実家に戻ることを決めました。

大学卒業後は、私もハウスメーカーに就職して営業の経験を積みました。2年ほど経ったころにはひと通りの仕事を覚え、販売実績も上げられるようになったので、実家に戻る選択肢が立ち上がってきました。しかし、せっかく家業に入るならば、家族が誰も得意領域としていない分野も学んでから帰ろうと不動産業界へ転職。大手ビルダーでは、土地の仕入れ営業と管理職を経験し、きよかわに入りました。

今は、平日は大工として働き、毎週土曜には広島県建築高等職業訓練校に通って、大工の基礎を学んでいます。昔から人にものを教えるのが好きだったので、いつかは私も職業訓練校の先生を務めてみたいです。

株式会社きよかわ 大工 清川 説志さん

2018年、2019年、2023年に連続して3人の息子が実家に戻り、伸二さんひとりだった同社の環境は大きく変化していった。従業員数が増えれば増えるほど、人件費の増加が懸念されるが、経営面に不安はなかったのだろうか。

伸二さん: 不安はなかったです。長男の創史が帰ると決まった段階で、思い描いていた計画を進めていこうと腹をくくりました。まずは創史と2人で手探りで進めていきましたが、「太視と説志が帰ってきても大丈夫だ」という自信はありましたね。祖父の代から大工業を続けてきましたので、営業活動をしたり、販管費をかけたりしなくても、リピートやご紹介で仕事をいただけていたことも大きかったと思います。また、創史も入社後すぐに新築の受注を決めてくれましたし、太視は「きよかわで建てたい」というお客様を2組連れて戻って来てくれたので、どんどん忙しくなっていきました。

ただ、経営におけるプレッシャーは以前と比べものにならないです。これまでは家族を養えるだけの日当が出れば、最悪利益は出なくても構わないと思っていました。今は、3人だけではなく従業員も抱えていますので、経費や労務費、利益を考えながら日々動いています。

 

「会話」と「創造」ができる大工を育て、経営理念の実現を目指す

創史さん・太視さんが帰ってきたタイミングで、みなさんが取りかかったのが経営理念の策定だ。「広島の暮らしの道標をつくる」「家と大工の在り方の新たな価値を創造する」「手を込める 手を磨く 手を取り合う」――この3つの経営理念に込めた想いをそれぞれに伺った。

本社に掲げられている経営理念は、伸二さんの妻であり、清川家三兄弟の母である優香さんが記した。優香さんは、同社の経理でありながら書道の先生でもあるという。

創史さん: 私は、2つ目の「家と大工の在り方の新たな価値を創造する」に一番思い入れがあります。きよかわの大工は、普通の大工とは違います。営業も設計も現場管理も全部やるのが、きよかわの大工です。この新しい大工像を私たちが確立して、大工全体の価値向上につなげたいとの想いを込めています。

太視さん: 私は、もともと人と話すのが大好きなので、お客様とたくさん会話をして、お客様の暮らしに寄り添っていけることが家づくりの最大の魅力だと考えています。ですから、1つ目の「広島の暮らしの道標をつくる」が、私としては一番思い入れが強いです。

太視さんの自宅マンション。創史さんが基本造作・設計を担当し、太視さんがほぼすべての木工事、造作工事を担当。外付加断熱や二重窓の設置など、性能向上リノベーションも実施した。同社のマンションリノベーションの施工事例としてお客様にも公開している。

太視さん: 家を建てるだけではなく、建てたあとの暮らしも大切にできるような「道標」をつくっていきたいという想いはずっと持っています。今は、自宅をモデルハウスとして公開していますが、ただ施工事例として見せるのではなく、今後は家族の様子を含めたライフスタイルを発信していきたいですね。

今は、大工が直接お客様と話す家づくりが特殊だととらえられてしまう時代です。だからこそ、私たちが届けたい価値がまだお客様に伝わり切っていない感覚があります。これからは、お客様に目線を合わせて、「きよかわの家ではどんな暮らしができるか」を伝えていくことに力を入れていきたいです。

同社のモデルハウスとなっている「和(なぎ)の家」で暮らす太視さんご家族。娘さんは、お風呂あがりに無垢の床にごろんと寝転ぶのが大好きだそう。

説志さん: 私は、3つ目の「手を込める 手を磨く 手を取り合う」が好きですね。今、実際現場で手を動かしているのですが、「これからもずっと現場で仕事がしたい」と思うくらい大工仕事が好きになりました。私も昔の大工の意思を継いで、父のような「何でもできる大工」になって生き残っていきたいと思っています。

伸二さん: 私も、3つ目の「手を取り合う」は大事にしてほしいと思っています。3人の息子が戻ったことで、まわりからは「家族経営の工務店は喧嘩別れしやすいよ」とよく心配されています。ですから、とにかく「この3人がいなければ」との想いはしっかり頭に置いてほしいです。

この3つの経営理念を実現するため、「会話」と「創造」を土台として、各々の「+α」の強みを持つきよかわの大工。一般的に「多能工」とは、大工が水道管工事をしたり、左官職人がクロスを貼るなど職人が他職種の作業を兼ねる場合を指すことが多い。一方、同社の大工は大工に加えて、営業・現場監督・設計・不動産・広報など、大工自身で仕事を取り、大工の判断で現場を回していくための能力を兼ね備えようと育成を進めていることが大きな特長だ。

家のつくり手である大工が直接お客様と「会話」ができれば、お客様の要望を汲み取りやすくなり、納まりに対する説得力も上がる。そこで、同社は大工の会話力を磨くために、大工が見学会で説明を行う試みをスタートしている。

創史さん: 最近の見学会では、実際に物件を手がけた大工が、お客様に対して物件のご案内をしています。家のつくり手が自分の言葉で語ったほうが、細かいこだわりや苦労したポイントがしっかりとお客様に伝わるのではないかと考えてはじめた取り組みです。ただ、大工にとっても物件説明は初めての経験なので、まだ話はつたないです。それでも、こうした経験を積んでいけば徐々にお客様とお話ができるようになって、普段の業務にもプラスになっていくと感じています。

 

意欲ある若手を集めるために、あえて手刻みを選択

ここからは、同社が掲げている「大工を憧れの職業にする」という事業目的を掘り下げていく。同社は、大工が減少している背景の一つには、プレカット材の活用などによる効率の良い家づくりが進んだことで、「お客様と会話をしながら、自分の手で家をつくり上げていく」大工像に魅力を感じていた層が離れていっているのではないかと考えた。そこで、「自分の腕を磨きたい」と考えている優秀な人材を呼び込むために、2024年の年明けからプレカット材の使用を止め、全棟を手刻みに戻すことを決めた。この思いきった決断の裏側には、どんな想いがあったのだろうか。

創史さん: 大工不足が深刻化するなかで、若くて意欲のある人材に当社へ来てもらうためには、大手ハウスメーカーに負けない何らかの魅力が必要です。そこで全員で意見を出し合った結果、「腕を磨きたい学生は、手刻みのできる工務店を選ぶのではないか」という考えに辿り着きました。「家を1軒建てる技術を身につけたい」「自分の手でつくったと言える家づくりがしたい」そんな想いを持つ人材に来てもらうことが、大工工務店である当社の成長には欠かせません。

創史さん: 将来、当社で家を建てたお客様から「増築したい」と言われたときに、自分たちで構造材を入れられない大工だったら、増築自体をお断りしなければならないケースが出てきます。地域で何十年も住み継がれていく家をつくり・守れる大工になるためにも、手刻みを身につけることは大事だと考えています。

 

住宅産業の工業化が進む今の時代において、「使われる大工にはなりたくない」との信念を持ち、営業もこなせる棟梁として歩み続けてきた伸二さん。その姿を見ていた三兄弟は、父から言われるまでもなく、率先して自らの強みを身につけて同社へと帰ってきた。

どれだけ時代が変わっても、大工は必ず必要とされる。自分の手で家を建てられる大工、現場監督や営業、設計、不動産、広報といった「+α」を持つ大工は、これからますます必要とされるだろう。Vol.2では、そんな新しい大工像に憧れて、同社に入社してきた社員大工の活躍と教育体制について、詳しく伺っていく。

株式会社きよかわの本社にて。左から、次男・太視さん、父・伸二さん、長男・創史さん、三男・説志さん。

 

株式会社きよかわ
URLhttps://www.kiyokawanoie.com/
代表者代表取締役 清川伸二
設立1918年
本社広島県広島市安佐北区可部2丁目13-31-1
企画: 平賀豊麻
編集: 鯉沼愛実
執筆: 保科美里
デザイン: 森山人美、安里和幸
お客様担当: 松本 洋史、渡邉 和輝
 
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