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本シリーズ「能登半島地震 復興とDX」では、ANDPADを活用しながら能登半島の公費解体に取り組んでいる解体事業者「株式会社宗重商店」と、全国から応援に駆けつけた協力解体会社の方々、そして被災者の方々へのインタビューを通して、現場の声を届けて復興とDXについて考えていく。
Vol.1では公費解体プロジェクトの全体像をデータとともに振り返り、Vol.2、Vol.3、Vol.4では穴水町のブロック長を務める宗重商店の関係者から公費解体について聞き、デジタルツールの活用を考えてきた。
Vol.5では、日々の解体工事を行う協力会社の職人の皆さんにインタビューし、現場での業務と、被災地の復興にかける思いについて伺った。
倒壊した家の中から、被災者の思い出の品を探す
宗重商店が担当している穴水地区では、震災から約2カ月後の2月28日より公費解体の申請受付が始まり、4月8日より公費解体をスタートさせている。4月はインフラの復旧も十分ではなく、公費解体の進め方もまだ手探りの状況だった。穴水では、休眠していた元分校施設「ふるさと体験村 四季の丘」をベースキャンプに使用することを決めたが、4月の段階ではまだ整備前で、現場に入っている協力会社は限られていた。
滋賀の解体事業者である土田建材株式会社の布施さんは、重機オペレーターとして4月から現場に入った数少ないメンバーの一人だ。
──公費解体の現場に参加した経緯について教えてください。
布施さん: 震災があってすぐ、宗重商店さんから当社にお声がかかりました。本当は別の社員が行く予定でしたが、「1日でも早く能登の人たちを安心させたい」「震災復興に携わりたい」という気持ちから、「行かせて欲しい」と自分で名乗りでました。
──公費解体が始まった当初、現場はどんな状況でしたか?
布施さん: 僕らもニュースはもちろん見ていましたが、実際に来て、被害の大きさに驚きましたね。道路が波打っており、道中で「車、壊れるんじゃないか?」と思ったくらいです。さらに現場を見ると、建物の歪みもひどい。2階はまっすぐなのに、1階が斜めに傾いているみたいな、ふだん見ない光景ばかりで不安でした。「こられを二次災害なしで解体できるのか?」と、正直怖かったです。
布施さん: 被災建物の解体は、1日の工事の組み立て方が大事です。中途半端な状態で夕方になり作業を終えてしまうと、夜の間に建物が倒れるということもあり得ますので。「どの順番で解体していけば安全か」考えながら解体を行う必要があり、ずっと神経がピリピリしていましたね。
特に、穴水に入って2件目の案件は今でも強く印象に残っています。それは商店街にあったお店で、アーケード側に斜めに傾いていました。今にも倒れそうな建物だったため「無事に解体できるか」と心配でしたが、近くで解体をしていた株式会社TMコーポレーションさんの助けもあり、何とか進められた感じです。この物件は、今思い出しても大変でしたね。
──工事をされていて、被災者の方とお話しされる機会はありますか?
布施さん: 基本的には工事の現場に一度いらっしゃるので、色々お話ししますよ。そこで「荷物を出して欲しい」などの話をします。僕らは慣れているので大丈夫ですが、一般の方が入るのは危険な家もあるので、その場合は代わりに入って探すこともあります。
解体する家屋の所有者の方だけではなく周りに住んでいる方も、工事がどう進んでいるのか気にされており、お話しすることもありました。今後どうなっていくのか、みんな不安なんですよ。ただ、そんななかでも「駐車場、こっち停めたら」とお声がけしてくださってご自宅の駐車場を貸してくださる方もいました。本当によくしてくれました。本来は僕らが助ける立場ですが、逆に助けられることも多かったです。
──被災者の方からの要望は、どういったお願いがありますか?
布施さん: 印象に残っているのは、避難所で生活されている方からの「仏壇の位牌を取り出して」というお願いです。避難所はスペースの問題から持って行くものも限定されます。被災者の方からは、「他は壊していいから、これだけは絶対に持って行きたい」とお願いされました。
木くずの中から探して、4つ見つけたのですが、どうしても最後のひとつが見つからない。でも、みんなで探して、最終的にうちの作業員が何とか見つけて、お渡しすることができました。最後の一つは本当に小さい小さい位牌で、赤ちゃん用の位牌だったと思います。「これですか?」と聞いてお渡しした時、めちゃくちゃ喜んではったのを覚えています。
正直、早く解体工事を進めたい気持ちもあります。けれど「見つけてくれて、ありがとう」と言ってくれると、「ああ、やってよかったな」と思いますね。現在は、別の社員がオペレーターとして現場に入っていますが、また穴水の現場に参加したいなと思っています。
時間が止まったかのような倒壊建物の現場
岐阜の解体事業会社である株式会社TMコーポレーションの高田さんも、布施さんの班と同じく4月から入っていた先行部隊のひとり。工事品質の高さや、依頼に対する柔軟性から宗重商店からの信頼も厚く、重要な現場を任されている。
──初めて能登の公費解体の現場に入った時、どんな状況でしたか?
高田さん: 4月に来た時の状況は、倒壊した家が並び、どこから手をつけていけばいいのか分からない、大変な状況でした。工事も進んである程度落ち着いてきてから、近接する家の解体を2件とも任せていただいたり、差配の工夫もあり効率的に作業ができています。
──公費解体の現場に携わっていて、日々どんなことを感じますか?
高田さん: 倒壊した建物の場合は、被災者の方は何も取り出せていません。おせちや雑煮が残っていたり、お正月に帰省した家族と一緒に食べる予定だったのか冷蔵庫の中もパンパンで、正月から時間が止まっているかのような現場もあります。なので、解体しているこちらとしても、申し訳ない気持ちというか、何とも言えない複雑な思いを抱きます。
家族の写真を1枚も取り出せていないという方もいらっしゃるので、なるべく被災者の方のお話を聞いて、「あれを取り出して欲しい」などの要望は聞いて進めるようにしています。
細かな作業の連続である公費解体
福井県の解体事業者である有限会社Riko開発。増田さんの班が担当する現場に伺った際は、職人が解体した家屋の廃材の分別作業を手作業で行っていた。解体というと、「物を壊す」豪快なイメージを抱く方もいるかもしれないが、実は細かな作業の連続であることを感じる。
──5月末に現場に入られてから、今までを振り返って、感じていることは何ですか?
増田さん: 福井でいつもしている解体工事よりも、公費解体は分別が細かく、その部分は大変ですね。特に、倒壊した建物は、まず、一つひとつ廃材を分けることから始めます。廃材の中から被災者の方々の大切な思い出の品々を見つけ出し、渡すことができた時、やっぱり喜んでくれるので、それが今の活力に繋がっています。
福井にいる子どもたち3人とは、しばらく会えてない日が続いているんですが、被災地の復興のために引き続き頑張りたいと思います。
片道切符で奥能登へ。愛媛から工事に参加
愛媛から参加している、株式会社日の出都市開発の西原さんも、細かい分別作業を行っているなかでインタビューに協力いただいた。「粉塵が多いので、空調服が着れないんですよ」と汗を流しながら、ひたむきに廃材を分けていた西原さん。
──被災地の公費解体で気を付けていることは何ですか?
西原さん: ひとつは、作業中の事故がないように。地震でダメージを受けた危険家屋が多いので、解体の作業に注意して作業しています。朝、宗重商店さん宛にANDPADでKY(危険予知)報告を行うのですが、そこで班のメンバーと今日の作業の注意点を確認し合っています。また周囲の住民の方への配慮として、ほこりが舞わないように水まきを徹底することや、ゴミが道路に落ちることのないよう注意を払っています。
──公費解体のプロジェクトにかける思いを教えてください。
西原さん: 今解体している家屋の多くは、地震がなければ解体されることはなかったもの。昔から住まれてきた思い出のつまったお家です。以前の現場ではバックホウで壊すのを家族の方が涙を流しながら見守っていました。そういった、被災者の方々の思いを心に留め、丁寧に作業を進めていきたいと考えています。
東日本大震災を機に解体の道へ
最後に訪ねた現場は、光沢のある黒い瓦が印象的な、平米数も広い昔ながらの日本家屋の現場だった。仙周工業株式会社の山田さんは、この歴史ある家屋の解体準備のため、中に残っている建具の取り出しを行っていた。
山田さんは東日本大震災当時、宮城県で震災を経験し、その経験から解体工事の道を選んだ職人だ。
──現場に入られて、どんなことを感じられましたか?
山田さん: 東日本のときと違って、地盤沈下がものすごい。それが印象的でしたね。また、家屋を見ていると昔ながらの家が多く、「瓦の重さで歪んで、潰れたんだろうな」ということも実感しました。
──被災者の方とは、どんな話をされていますか?
山田さん: 残材を取り出している時に、写真だったり「これ大事だろうな」と思ったものはよけておいて、お電話差し上げるようにしています。
ここの現場は、「どういう風に工事が進んでいるか知りたい」というお話があったので、毎日アプリで写真を渡すようにしています。壊れた家も、皆さんが長年住まれていた思い出の場所なので、気になるんでしょうね。
──公費解体はスピードも求められると思いますが、きめ細やかにサービスされているんですね。
山田さん: 「お互い様」だと思います。困っている人がいたら助け合う、ということですね。前に担当した現場では、持ち主の方が遠方に避難されているのですが「今度こっちに戻ってきたら連絡しますね」とか、おしゃってくれました。そういう風に、自分たちのやっていることに喜んでもらえると、復興に携われていることにやりがいを感じます。
復興に携わりたいという協力会社に、来てもらいたい
インタビューした方々に共通しているのは、被災者の思いに心を寄せながら解体工事をしていることだった。危険な現場もあり緊張度が高く、暑さや寒さとの闘いもある。解体で発生した廃材の分別も細かく、大変な作業も多い。それでも、復興のために強い信念を持って、ただ「壊す」だけではない、解体工事を行っている。
ブロック長である堀田さんは、「復興に携わりたい。そういう思いを持った解体工事会社に来てもらいたい」と話していた。職人の方々へインタビューをして、そう話す理由が分かった気がする。
堀田さん: 解体屋としてのプロ意識を持ち合わせたうえで、復興支援をしたいという方がひとりでも多く来ていただければ、能登地区全体が良い流れの中で工事を進められるのかなと思っています。
公費解体の現場で働く、全国から集まった職人たち。解体という工事だからこそ直面する被害の大きさや生々しさ、被災者の思い、それらに真っ直ぐ、真摯に向き合う姿を何度も目にした。
解体が進まなければ、地域の復興はない。「被災者のために何かできることはないか」と駆けつけた職人の皆さんへ最大限の敬意と、頭の下がる思いを持ち続けた取材となった。
シリーズ最後の記事となるVol.6では、能登出身者の声を届けるとともに、アンドパッドとして今回の取材を通して感じたことを届ける。
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代表者 | 代表取締役 宗守重泰 |
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