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本シリーズ「能登半島地震 復興とDX」では、ANDPADを活用しながら能登半島の公費解体に取り組んでいる解体事業者「株式会社宗重商店」と、全国から応援に駆けつけた協力解体会社の方々、そして被災者の方々へのインタビューを通して、現場の声を届けて復興とDXについて考えていく。
>>Vol.1「能登半島における解体工事の現状〜公費解体とは? 何が被災地の復興を妨げるのか」
Vol.2では、穴水町のブロック長として工事を指揮する宗重商店 代表取締役の宗守重泰さんに話を伺った。震災があってから、解体工事が軌道に乗るまでにどのような困難があったのか、また解体事業者としてどのような思いで復興に携わっているのか話を伺った。
※インタビューは2024年8月に実施、情報は当時のもの。
1月1日、能登半島地震発生。宗守社長が抱いた覚悟
今回取材を行った宗重商店は、金沢市に本社を置く解体事業会社だ。2021年にANDPADを導入し、施工管理におけるDXを推進。2024年6月には、ANDPADを活用し大きな変革を遂げた利用企業を表彰する「ANDPAD AWARD 2023」のDXカンパニー部門で最優秀賞にも輝いた。1月1日に能登半島地震が起こった際も、社内の連絡にANDPADを活用していた。
社員のなかには能登半島出身の社員も多数在籍しているという。災害の速報が流れた時は形容できない感情を抱いたと、宗守さんは神妙な面持ちで当時の様子を振り返った。
宗守さん: 1月1日の夕方、私は家族と自宅で過ごしていたのですが、金沢に津波がくるという速報で災害のことを知りました。その時はこんなにも大きな災害になるとは思っておらず、続々と流れるニュースから被害の状況が見えてきて、今まで感じたことのない感情を抱いたことを、今も強く記憶しています。
例年ならば、1月5日の仕事始めの日に、全社員が集まり「経営指針発表会」を行う予定でしたが、もちろんそれどころではなくなり、1月2日から幹部で集まり社員の安否確認や今後の方針について話し合いました。正月なので、能登の実家に帰っている社員もいて、社員全員の安否が確認できたのは1月5日。最後に連絡が取れた社員は、帰省していた実家が倒壊して、携帯電話もなく、海岸まで歩いて何とか連絡してくれました。連絡が取れた時は、本当に胸をなでおろしました。
我々は解体事業者として復興のプロジェクトに関わっていますが、社員の家族も被災しており、被災者の置かれている状況は、決して人ごとではありません。
地震が起きて、能登半島への物流もストップした。体育館などに避難している被災者の人たちのなかには、社員の家族が何人もいた。避難所に食料や飲み物は足りているのか。宗守さんは「被災地のためにすぐに動くべきだ」と決断しANDPADで社内連絡を行い、社員に「支援物資を集めて会社に持って来て欲しい」と指示を出した。
宗守さん: 当社は不要品事業も展開しており、運搬用のトラックもあります。1月4日に幹部で集まった際に、「できることはないか」と話し合い、被災地に支援物資を届けることを決めました。そして社員総出で食料や飲料を買い集めて、翌日の5日に社員の家族がいる避難所に直接届けました。
そこから2月上旬までに、計13日間、トラック合計30台の支援物資を届けた。主要なインフラも道路が断裂しており、1月5日に物資を届けた際には、片道2時間の道のりで10時間以上かかったという。
宗守さん: 1月の北陸は本当に寒く、電気が通っていない体育館のなかは冷え切っています。皆さん、肩を寄せ合って、耐え忍んでいました。先行きも分からず、心身ともに疲れ切っていたと思いますが、そんな皆さんから「遠いところから、よく来てくれた。ありがとう」と何度も言葉をかけてもらったことが、とても印象に残っています。
今でも、解体現場に行くと、仕事や体調のことを気遣う言葉や、労いの言葉をいただきます。本当に一番辛いのは被災された皆さんのはずなのに、「不便なところに来て大変でしょう」とか「毎日暑い中ご苦労様」と日々声をかけていただけるんですよね。
支援物資を届けた時や、解体の現場で被災者の方とお話ししている時に受け取った言葉は忘れられません。そんな皆さんの気持ちに応えたいと、心の底から感じています。
宗守さんは、公費解体への思いをこう続ける。
宗守さん: 能登は自然豊かな場所で、第一次産業の割合が大きく、漁業や農業は多くの人の生活の基盤でした。土を触って米や野菜をつくる、もしくは船で海に出て魚をとる、そういう生活のルーティンを奪われるのは、体の一部が欠けるようなものだと思っています。
震災後、県外に避難された方もいますが、数千人の方が仮設住宅で暮らしています。災害関連死のニュースを見ると、胸が締め付けられる思いです。「被災者の方の日常を1日でも早くもとに戻したい」、その使命感ですね。
断水・道路亀裂。公費解体はどのような状況で始まったか
能登半島の地震に関連する公費解体は、石川県構造物解体協会が一括受注し、協会から正会員の工事会社に発注し進められている。宗重商店は穴水町のブロック長を担当することになり、春先には、協力会社の手配や、「三者立会」を進め、解体工事の準備を進めていた。
公費解体は、家屋の所有者が自治体から罹災証明書を受け取り公費解体を申請、補償コンサルタントが申請の調査を行い、さらにその後に「三者立会」を実施後、ようやくスタートする(Vol.1参照)。罹災証明書の交付や、申請調査や三者立会の日程調整に時間がかかることから、穴水町では当初ゴールデンウィーク前後で解体工事を始める予定を組んでいた。しかし、棟数の多さや厳しいスケジュールを考慮して、予定より1カ月早く4月から工事を開始したという。現地はどんな状況だったのか。
宗守さん: 今回の能登半島地震は過去の大きな災害と比べても、電気や水道などのライフラインの復旧に相当時間がかかったはずです。穴水町でも4月半ばまでお湯が出ないエリアがありましたし、他の地域ではもっと復旧が遅れたエリアがあったと聞いています。そういった状況でしたので、4月、最低限のインフラは復旧されていましたが、「働く環境」としては整備が全く追いついていませんでした。
特に課題だったのが、ホテルも民宿も被災しており職人が宿泊する施設がないこと。環境が整った宿泊地は基本的に被災者の2次避難先に充当されるので、「我々工事会社が泊まる場所は用意できない」と町からハッキリ言われました。金沢まで戻れば宿泊地がありますが、片道2時間以上かかるので現実的ではない。宿泊地の問題は、当社だけでなく、能登半島の公費解体全体の課題でした。
石川県の断水被害は最大で約11万戸。全国からの応援協力のもと、3月末時点で断水の約9割が解消していたが、解体工事が始まった4月はまだ生活インフラがようやく整い始めた段階だった。それでも、「1日でも早くもとの日常に戻す」ために、現場は動かねばならない。
宗守さん: 当社の職人は、最初はキャンピングカーに4人で泊まりながら参加していました。また、初期から入っていただいた協力会社の方は、廃校を活用した宿泊施設に泊まってもらっていましたが、そこも被災物件であり、4月中旬までお湯が出ない状況でした。
宗守さん: 解体は倒壊の危険がある建物から対応していきます。4月は社員も、パートナーの協力会社の職人も、そういった現場に入っていました。日中は神経を使いながら解体の現場に入り、終業後も心が休まる場所がない。春先は、そんな状況でしたね。
元請けの責務。協力会社へのサポートの重要性
宗重商店では、会社のリソースを全て公費解体に回すのではなく、本社のある金沢市近郊や、滋賀営業所の工事など平時の業務を止めずに公費解体のプロジェクトに取り組んでいる。公費解体は別班を設けて対応しており、能登の解体工事は主に協力会社が担当している。
宗守さんは、協力会社との関わり方について、平時より大切にして社員に伝え続けている理念があるという。それは、下請けにあたる協力会社もパートナーであり、思いやりをもって接することだ。「協力会社の職人は、復興をともに進める仲間だ」と宗守さんは話す。
宗守さん: 全国から集まる職人に、安心して現場作業に入ってもらうために、やれることは全部しようと。インフラが整っていないなら、自分たちで何とかしようと、建設機械を使いベースキャンプをリノベーションしました。すぐに動いたこともあり、5月には職人たちのプライバシー空間を守るユニットハウスと、風呂、トイレ、洗濯機などの衛生設備を提供する厚生施設を準備できました。
私たちは、「被災者に寄り添った」解体工事を心がけています。しかし、職人の心に余裕がなければ、そういった気遣いのある解体はできないと考えています。
5月初旬には、厨房設備を整備し、宿泊する職人が利用できる「四季食堂 / みんなのチカラ食堂」を開設。朝晩の食事の提供を始めた。調理は、穴水町大町の飲食店に業務委託しており、スタッフは被災者を中心に勤務している。
宗守さん: ハードな現場を続けているなかで、毎日朝昼晩、コンビニ弁当しか選択肢がないとモチベーションも続かないでしょう。なので、ベースキャンプでは温かい食事もとれるように環境を整えました。最近は、食堂にアンテナを引いてテレビも用意しています。
今回の公費解体プロジェクトはスピード感を求められている一方で、全国から集結した現場で働く職人たちは慣れない土地でまだ1年以上滞在します。元請けの責務として、余暇を楽しめる部分も整えたいという思いもあります。
宗重商店が担当している穴水地区の工事進捗は、他地域を牽引している。そこには、さまざまな要因が考えられるが、同社が解体工事体制の充実・強化にいち早く取り組んできたことは大きく関係しているだろう。
また、工事の管理方法も効率的に行えるように工夫している。宗重商店では、公費解体においても平時の解体工事と同じように、ANDPADを活用。協力会社とのやり取りや、KY(危険予知)品質のチェック、工事写真や廃棄物記録写真の管理はすべてANDPADで行っている。
アンドパッドでは、宗重商店から公費解体のプロジェクトの話を聞き、同社の解体工事の支援をすることを決めて、4月の段階から公費解体のプロジェクトにおけるANDPADの利用についてサポートを行った。
宗守さん: 現場ではANDPADが“最強の武器”になっています。案件の数も膨大で、かつスピード感が求められている状況で、情報管理やコミュニケーションも複雑。ANDPADがなければ、今回の復興がここまで進んでいなかったと断言できます。
解体道を掲げて~被災者に寄り添った解体工事を~
2024年11月末段階で、宗重商店が担当している穴水町の進捗率は44.1%。1,069棟の解体工事が完了した。数字にはこだわる。一方で数字に見えない部分にも、妥協していない。
宗重商店は、解体業を「サービス業」と捉えて、依頼者や関係者とのコミュニケーションを大切にしてきた。“常に美しく、いつも丁寧に、ずっと真心を込めてこの道を極める”解体道を看板に掲げて、高品質・高サービスを提供することをモットーとしてきたのだ。その思いは、公費解体のプロジェクトにおいても変わらない。
宗守さん: 公費解体では工事を始める前に、被災者と行政が委託している補償コンサルタントと解体事業者の三者で、必ず現場立ち合いを行います。この三者立会で、被災者の方からさまざまな要望を伺います。たとえば「金庫は、廃棄せずに取り出して欲しい」といったことです。金庫なら分かりやすいのですが、「崩れた家の中からバイクの鍵を探して欲しい」といった要望もありました。
住む場所を失った被災者は、短い期間で何度も住む場所を移す。震災後、まず地元の体育館などに1次避難を行い、その後に石川県内の旅館やホテルなどの2次避難所に移り、仮設住宅ができればそこへ移動する。災害救助法に応急仮設住宅の供与期間は「原則2年」と定められているため、2年後までにはまた復興住宅もしくは自分たちで建てた家に移動しなければならない。
倒壊した家には、家族の写真、遺影、位牌、バイク、帯など、思いが詰まった大切なものが残っている。しかし、避難所や仮設住宅では自分たちの空間は限りがあるため、すべてを持ち運べるわけではない。
宗守さん: 解体工事は「思い入れのある家を壊す」ということでもあります。半年間、公費解体を進めてきて、たくさんの方とお話ししてきました。なかには、代々受け継いできた立派な仏壇を、「仮設住宅に持って行くわけにいかないので、一緒に壊して欲しい」と話す方もいました。皆さん真剣に悩んで、生きていくために、苦渋の決断をしているんですよね。
そんななか、「せめて、これだけは取り出して欲しい」と被災者の方から話があったら、やっぱりその気持ちに応えたいし、応えなければいけないと思っています。崩れた瓦礫の中から小さな物を探すのは、もちろん大変ですが、被災者に寄り添った解体を行うと決めているので、そこは譲れません。
また、宗重商店では家財の取り出しについても、独自の方針を取っている。
宗守さん: 家屋に残された家財について、いわゆる片付けゴミをどうするか。公のルールでは「まずはボランティアや自分たちの力で中の捨てるものは出して、建屋は我々プロの業者が解体する」となっています。しかし、被災者の立場になって考えた時に、すぐに片付けられるかといったら、そう簡単なものではありません。
当然、家財が大量に残ってるケースもあり、解体工事を一時中断せざるを得ないケースもあります。ただ、宗重商店の現場では、被災者に寄り添うことを決めているので、なるべく家財の搬出も手伝いましょうという方針を取っています。「これは我々の仕事じゃありません」とは、一切言ったことがない。
公費解体のプロジェクトなので、もちろんスピードも重要です。行政から求められているスピードに対応しながら、被災者に寄り添った解体工事を行う。それが我々の信念です。
「もちろん全部が全部、要望に沿えるわけではない」と宗守さんは付け加える。公費解体で解体事業者に求められているのはあくまで建屋の解体であり、「心」に寄り添った工事は、現場の職人たちの思いで成り立っている。だからこそ、こうした仕事を見ている地域の住民たちは、解体職人たちに、労いの言葉を伝えるのだろう。
被災して本当につらい状況にいるにもかかわらず、自分たちに感謝してくれる、そんな言葉を力に変えて、次の現場に向かう職人たち。宗重商店が平時より大事にしてきた「解体道」により、期待を超え合う連鎖が生まれているようだ。
みんなのチカラで! これからも全員で難題に立ち向かう
被災者に寄り添いながら、そしてスピード感をもって公費解体に挑む宗重商店。工事品質の高さや進捗率は自治体からの評価も高く、またANDPADを使った管理体制は協力会社からの評判が高いことから、7月より志賀町、9月より輪島市の工事の応援に入ることになった。
宗守さん: 公費解体が進めば、街の景色も変わる。「建物がなくなって空地が増えていく」というのは、ある種マイナスなイメージがある人もいるかと思いますが、被災地の方々にとっては、街が復興に向けて着実に進んでいる証になる。破壊された日常の景色が、一度リセットされていくことで街の方々が希望を抱き、未来に向けたビジョンにつながっていくはずです。
解体は近年まで、鳶と同じ職種区分でした。その鳶の歴史をたどると、昔は建物を壊して延焼を防ぐ街の火消しだったんですよね。彼らは、災害時に先陣を切って、街を守るヒーローでした。その原点に返り、この被災地の再建と復興に向かいたいと思っています。
今回の復興プロジェクトにあたり、宗重商店では上記のロゴを作成した。宗重商店の現場では、トラックや重機にロゴを使用した横断幕を付けて、地元の人たちに安心感をもたらすことが狙いだ。
「がんばれ」でも「負けるな」でもなく、「みんなのチカラで!」。それが、宗重商店が出したメッセージだ。最後に、宗守さんに、震災からこれまでの振り返りと、今後の展望について伺った。
宗守さん: 1月からがむしゃらに走ってきて、最初は困難の連続でしたが、現地の方々の我々に対する思いやりだったり、気遣いだったり、ねぎらいの言葉に、本当に心を打たれる毎日でした。
宗守さん: この素晴らしい街、素晴らしい自然のある環境を本当に1日でも早く元に戻したい。公費解体のプロジェクトは、私の人生の集大成と言ってもいいと思っています。あらゆるネットワーク、あらゆる経験を活用して、震災復興という難題を乗りこなしていきたいです。
Vol.3では、宗重商店のDX推進者、穴水町のブロック長、申請業務を行うバックオフィス担当など、それぞれのフィールドで闘う複数のキーパーソンに、公費解体の仕事の詳細を伺い、復興とDXの可能性について深掘りしていく。
URL | https://munejyu-kaitai.com/ |
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代表者 | 代表取締役 宗守重泰 |
創業 | 1939年 |
本社 | 石川県金沢市畝田西1-112 |