目次
「木と技と心でお客様の『幸福の城』の実現を図り、社員の成長と会社の発展を目指す」という経営理念のもと、1969年の創業以来、愛知県・岐阜県・三重県でのべ6000棟以上の施工を手がけてきた株式会社新和建設。地域工務店と大手ハウスメーカーのそれぞれの強みに加え、素材や職人の手仕事にもこだわった高品質な住宅は、高い顧客満足を叶えている。
「家づくりは、全て人が為すこと」という想いのもと、木・技・心にこだわる同社。自社で100名を超える専属の棟梁・大工を抱え、その技術をもってなす、国産材「東濃ひのき」をふんだんに活用した木の家づくりを手がける。創業から一貫して大工の育成に力を入れ、木造住宅建築の技術と伝統、そして職人としての心のあり方までもを継承している。
さらに、顧客満足を徹底的に科学する同社では、顧客の満足を高めるためには、不満・不安・不信感を解消することが重要であると考え、きめ細やかなサービスを提供している。生涯にわたって顧客とのつながりを大切にする「生涯顧客化」を掲げ、アフター対応にも注力しながら熱烈なファンづくりを進めてきた結果、年間紹介率は40%にも上る。
その裏側には、徹底した仕組み化がある。ANDPADを中心としたDXを推進し、すべての業務を平準化することで、属人化しない業務体制を構築。生産性向上と品質の安定化を実現し、顧客の安心や満足につなげている。さらに、全棟標準仕様で「長期優良住宅」に対応している同社。2025年4月から施行された「省エネ基準への適合義務化」や「4号特例」の縮小への対応に追われる工務店やハウスメーカーが散見されるなか、同社では「長期優良住宅CSトップランナーシステム」を開発。地域工務店、ビルダーが共同で使用できる「長期優良住宅型式認定」を仕組み化し、構造計算や申請図書の平準化による作業時間短縮や、審査に必要な申請書類の作成などを合理的に行えるよう支援を行っている。
自社大工による高い技術力と、顧客の心を満たす「木の家づくり」というコンポーネントを受け継ぎながら、さらなる利益と生産性を上げ、時流を読んだ柔軟な変化を遂げている同社。今回の記事では、2編にわたり、「不易流行」を掲げる同社の揺るがない「不易」と、時流を読み変化を創造する「流行」を紐解いていく。Vol.1では、同社会長の藤井保明さんに、「大工育成ビジネスモデル」にもとづく大工育成と、新和建設の大工の根幹である心の教育、さらには国産材「東濃ひのき」を活用した家づくりについて聞いた。Vol.2では、同社の名古屋本店 財務・経理本部 専任 菊田和昌さんにインタビューを実施。同社の事業展開と、高い顧客満足度を実現する仕組み、さらにはANDPADを活用した生産性向上と業務の標準化について掘り下げる。
東海3県に根ざし、木と技と心で顧客の「幸福の城」の実現を追求
東海エリアの愛知県・岐阜県・三重県を拠点とし、1969年の創業以来「木と技と心」にこだわり、「木の家ならば新和建設」というブランドイメージを確立してきた株式会社新和建設。注文住宅事業を中心に、リフォーム、古民家再生、不動産事業、健康事業など、多角的な事業を展開し、東海エリアに12カ所の住宅展示場と3店舗のハウスドゥフランチャイズ店、さらには4つの本店・支店を展開している。地域密着型のビルダーとして、顧客の理想の家づくりの実現を目指す同社は、大手ハウスメーカーの安心感と、地元工務店が持つ設計自由度の高さを兼ね備えていることが特長だ。
「家づくりは、全て人が為すこと」という想いのもと、木・技・心にこだわる同社では、305名の従業員のうち、大工棟梁108名、大工研修生11名からなる自社職人が在籍。創業以来、大工の育成にも力を入れ、職人不足が叫ばれて久しい昨今、同社では親子2世代にわたって在籍する大工も抱えるというから驚きだ。さらに、古民家再生のニーズも多くある同エリアにおいて、代々継承されてきた高い技術力を有する専属大工集団の存在は、大きなアドバンテージとなっている。
さらに、岐阜県白川町が誇る国産材「東濃ひのき」を活用した家づくりにこだわる同社。顧客アンケート(※1)における「新和建設の家づくりでよかったところ」として、88.8%が「木のぬくもり・香り」の良さを挙げるという。
(※1)「新和建設の家を選んだ理由は?」2021年新和建設のホームオーナー様を対象としたアンケート結果より

写真左:同社のブランド「季光風土」は、日本の気候や生活様式に最も適した完全注文住宅。写真右:「SINWASTAGE」は、生活スタイルやデザインなど幅広い要望に応えることができる充実のラインナップを誇る。出典:新和建設HPより https://www.sinwanet.co.jp/chumon/lineup/
経営理念として「木と技と心でお客様の『幸福の城』の実現を図り、社員の成長と会社の発展を目指す」と掲げる。同社が定義する「幸福」とは、「感謝の気持ちを持てる」ことであり、家族間の感謝を生むような家づくりを目指している。そんな感謝の気持ちで溢れる同社の家づくりの根底にあるのは、顧客満足へのあくなき追求だ。「生涯顧客化」という考え方のもと、標準仕様で「長期優良住宅」に対応し、生涯にわたり顧客と関係を結び、子や孫の代まで引き継がれる家づくりを目指している。
新和建設の始まりは3人の職人 「大工を育て、世に送り出すことで恩返ししたい」
創業以来、自社大工による高い技術力のもと、木のぬくもりを感じるオンリーワンの家づくりで高い顧客満足度を実現してきた同社だが、その始まりはたった3人の棟梁・大工だったと新和建設会長の藤井保明さんは語る。
藤井さん: 私は中学卒業してすぐに、手に職をつけるべく愛知県名古屋市の工務店に弟子入りしました。とにかくお客様を一番に想う親方で「お客様を大事にせなあかん。お客様に感謝せえよ」と徹底的に教えられました。今では「顧客満足」は多くの企業でも当たり前に掲げられていますが、当時の職人の教えとしては珍しいことでした。
藤井さんが弟子入りした工務店で出会った人物こそ、当時先輩棟梁だった先代社長の吉村良三さんだったという。藤井さんの生まれは岐阜県加茂郡白川町、吉村さんは白川町内の黒川地区の出身。同じ地域で生まれたこの出会いこそが、多数の大工を育成する新和建設の起点となった。
藤井さん: 私と吉村は「これから職人の時代が来るぞ」と話していました。かつて大工は「お大工さん」と呼ばれ、「お坊さん」や「お医者さん」とならんで ”お” がつく職業として地位が高く、年収も高い職業でした。一般企業の初任給が5,000〜6,000円だった時代、当時の大工の日当は約1,000円。こうした時代背景も追い風となり、独立して大工を育成しようと考えました。そこで、当時大工だった現・相談役の田口文男も加えて、西春町(現在の北名古屋市)で立ち上げたのが新和建設だったんです。

株式会社新和建設 会長 藤井 保明さん
藤井さん: 会社を立ち上げたのはいいものの、周りからは「お金をかけて大工を育てたって、辞めて出ていってしまうぞ」と言われました。けれども、私は育てた大工全員が自社に残らなくてもいいと思っているんです。せめて半分残ってくれればいい。私自身も大工として育ててもらいましたから、自分が1人でも大工を育てれば育ててもらった分の恩は返せますし、さらに2人、3人と育てて送り出せたら社会により貢献できると考えたんです。
天塩にかけて育てた大工は、自社に在籍し力になってほしいと考えるのが自然だろう。それでも、藤井さんは自社のみならず業界全体の発展を見据えた育成方針を掲げていた。自社の利益だけにとらわれず、地域や業界の未来のために大工の技術継承に取り組もうとした決意の源は何だったのだろうか。
藤井さん: 私も吉村も、親方に育ててもらった恩があります。時代とともに大工がどんどん減っていき、伝統的な技の伝承も難しくなっていくであろうなか、大工を育てて世の中に送り出せば、恩返しできると思ったのです。私が弟子入りした親方からは、「人生は金儲けではない。短い生涯にどれだけ社会に貢献しながら活躍できるかだ」ということを教わりました。その教えを胸に新和建設で大工を育て、その半分が貴重な職人として世の中で活躍してくれたらばいいと思ったんです。以来、木造建築の技を若い世代に受け継ぐために、育成の仕組みづくりに力を入れていきました。
技と心を伝承し、会社全体で大工を育成すべく「大工育成ビジネスモデル」を構築
親方に大工として育ててもらった恩を胸に、「大工を育成することで、自社の発展のみならず、社会に貢献したい」という想いのもと立ち上げた新和建設。設立時から大工育成やキャリア構築に注力し、昔ながらの徒弟制度を超えた大工育成ビジネスモデル「素材のわかる匠の技伝承ビジネスメソッド」を構築。1990年から運用を開始し、2015年にはグッドデザイン賞を受賞した。
同システムは、高校を卒業し同社に入社後、新和建設の社員として6年間の研修を行う形で構成されている。研修終了時には木の扱いや納め方を習得し、信頼される棟梁・大工となる。同社の技能伝承はもちろんのこと、業界全体の大工の数や技術力の向上も叶えるモデルである。

大工研修生は正社員として入社。大工道具を一式支給され親方に配属。大工学校(2年)へ通いながら6年間の現場研修。7年目には会社を退職し親方にお礼奉公。8年目に棟梁として独立するプログラム。出典:GOOD DESIGN AWARD「大工育成ビジネスモデル」https://www.g-mark.org/gallery/winners/9dcd196e-803d-11ed-af7e-0242ac130002
この画期的なモデルが開発された背景には、職人不足とともに技術の継承も困難となっていく時代を見据えた藤井さんの先見の明があった。
藤井さん: 昔の大工は親方に弟子入りして、低賃金もしくは無給で長時間働き、親方の技を見て盗むのが当たり前でした。けれども、世の中の働き方の変化とともに、厳しい徒弟制度のもとで大工になろうという若者はますます減り、このままでは匠の技と職人の心の伝承が途絶えてしまう、と危機感を覚えたんです。さらに、教わる親方によって技量の良し悪しもあり、他と差が出ることもあります。そこで、昔ながらの閉ざされた徒弟制度ではなく、会社全体で大工を育成しなければならないと思い、大工育成システムをまとめあげていきました。
入社した若い大工は社員研修生として、会社の近くで寮生活を送り、親方のもとで6年間現場研修を受けます。研修生は親方を見て職人としての技はもちろん人間性も学びますから、親方には「親方から指導を受けたことのうち、よかったことだけを引き継いでくれ」と伝えています。
同システムの工夫は細部まで徹底している。社員研修生には、縦軸に名前、横軸に日当が書かれた「番付表」があり、たとえば上棟時に人手が必要な場合、その「番付表」を見ながら親方同士で人工の貸し借りや、金額の交渉を可能にしている。
藤井さん: 社内で人工の貸し借りをできるようにすることで、研修生は自分の親方だけでなく、他の親方と交流できます。教わる親方によって技量の良し悪しや癖が出る場合もあるので、それを解消するためにも、さまざまな親方と交流できる場を設けています。

出典:新和建設HPより https://www.sinwanet.co.jp/building/staff/
さらに、大工工事専門の品質管理体制を持ち、専任の品質検査員も配置。同社独自の品質基準にもとづく400ページからなる「品質基準書」は、3ヶ月に1回改訂がなされ、常に最新版にアップデートされている。
こうして長年のノウハウを蓄積してできあがった大工育成システムは、他社への汎用性もあり、業界活性化の力になるだろう。大工不足により人工の確保や柔軟な調整、品質のコントロールが難しくなっている昨今、自社で社員大工を抱え育成を行うハウスメーカーや工務店も増加している。そこで悩ましいのは、給与基準をいかに定めるかではないだろうか。同社では、研修生の給与・賞与システムを可視化することで、仕事の安定性とモチベーション向上につなげているという。
藤井さん: 社員研修生も他の社員も給与基準は変わりません。ただし、研修生の賞与は6年間、給料1ヶ月分を据え置いており、その点は修行期間として理解してもらっています。6年間の社員研修生のうちは給与のほか経費も支給しますが、独立後は当社の専属大工であっても、機材一式や車・ガソリン代などの経費は手間賃内で収めてもらうようにします。各大工が経営者としてコスト感覚を養い、この家はどれくらいの手間賃でやろうか、と裁量を持った仕事につながっていると思います。
さらに、研修生には愛知県と岐阜県の2箇所で食事付きの寮を用意しているという。実際に寮に住みこみで研修を行う研修生は、「同じ志を持つ人と暮らし、プライベートでも一緒に遊んだりもする。親方に怒られた時は、寮で先輩後輩が話を聞いてくれたり、年の離れた親方に聞きづらいことも、寮で年の近い先輩に聞ける。おかげで辞めずに済んだ」(※2)と、公私ともにサポート源として機能していることが伺える。また、女性の大工希望者も年々増加しているなか、現場には女性の現場監督、寮には寮母さんが在籍し、高卒で職人の門戸を叩く女性のための環境整備にも力を入れている。
(※2)出典:YouTube 新和建設公式チャンネル「【大工棟梁|質問コーナー】新和建設 自社大工インタビュー①」https://www.youtube.com/watch?v=tdHpZwUbt74
「【大工棟梁|質問コーナー】新和建設 自社大工インタビュー②」https://www.youtube.com/watch?v=6VgjCG8J_6Y
職人の手仕事を継承すべく、大工学校を開校
ここからは、「大工育成ビジネスモデル」の6年間の現場研修にも位置付けられている、「大工学校」での学びについてみていこう。同社は1997年、大工の職業訓練校「濃飛建設職業能力開発校」(以下:大工学校)を開校した。同校設立の背景には、藤井さんがかねてより感じていた大工の手仕事の継承が危ぶまれることへの危機感があったという。
藤井さん: 90年代に入ると、プレカット加工や製品の工業化が普及し始め、職人の技を必要としない大工工事が増えていきました。それに伴い、墨出しや手刻みをする機会はもちろん、教える機会も少なくなり、大工の基本である曲尺ですらきちんと使える大工が減っていたんです。プレカットは手刻みに比べて大幅に工期を短縮できますし、生産性の向上も期待できます。けれども、やはり曲尺を使えてこそ、一端の大工になれると思います。今きちんと教えていかなければ、大工の手仕事の技術は途絶えてしまうと危機感を抱き、学校で教えようと決意しました。
さらに、築100年以上の古民家再生をさせていただくこともあるのですが、そこでも大工の高い技術力が求められます。100年住み続けられる家づくりを継続していくためには、木と家に関する確かな知識と技術を持った職人を体系的に教育していく必要があると感じたんです。

「木造住宅の美しさは、木組みの出来栄え・木肌の見えがかり、細部の手技による切れ味によって生み出される」と藤井さん。
そこで、白川町の廃校を活用し、白川町・東白川村の工務店と合同で大工学校の開校に踏み切った。大工学校には、同社の他にも、加盟事業所に入社したばかりの若い大工が週に1日通い、切磋琢磨しながら木造建築の技能を身につけている。

藤井さんの故郷であり、銘木「東濃ひのき」の産地である岐阜県加茂郡白川町に構えた職業訓練校「濃飛建設職業能力開発校」。
同校で学ぶためには、新和建設または加盟事業所と雇用関係にあることが条件になる。訓練課程は2年間(1,400時間以上)であり、週1日学校に通う「集合訓練(年間約50日)」と、雇用事業所で指導員・講師から訓練を受ける「分散訓練(年間約40日以上)」からなる。曲尺の使い方を始めとした大工技能や建築概論、安全衛生や機械操作の基本実習、プレカットの知識やCADの習得、木材・木工事に関する知識など大工仕事の基本のほか、普通学科として社会や道徳、体育も学ぶ。
大工学校での学びに要する費用(訓練事業分担金・入校料・授業料・損害保険料合わせて324,850円)は雇用先の事業主が負担。通学は雇用先からの派遣という扱いになり、通学日も所定の給料が支給される仕組みだ。修了すると、岐阜県知事から終了証書が贈呈され、技能士の資格習得や2級建築士の受験などに有利になるという。
藤井さん: 本校に通う研修生は、高校卒業後に2年間の修行を積み、卒業後すぐに社員として親方の下で現場を経験します。その際に4年制大学を出たばかりの同い年の人と現場で一緒になったとしても、大工学校を出た研修生は大卒の同い年の人よりも、納まりも材木の特徴も理解できているから、早期に戦力化し活躍できるんです。

写真左:試験課題である「規矩術」を駆使して作る寺のすみ。写真右:1年生の終わりに手刻みで作る小屋は、在学時代の貴重な経験になったと語る生徒が多いという。
これまで数多くの職人の卵を育てあげてきた同校。しかし、その立ち上げ当初は苦労も多かったと藤井さんは話す。
藤井さん: 40社以上の加盟事業所をまとめるのは一筋縄ではいきませんでした。加盟事業所には大小さまざまな会社があり、大工学校に対する考え方も異なっていました。公平であるために、年間30万円の訓練事業分担金を一律で負担してもらうことに理解を得るのにも苦労があったことを覚えています。
さらに、開校当時はバブル経済の好景気の時代。求人数も多いなか、各高校を駆け回り地道に生徒募集を続けたという。
藤井さん: 岐阜県の高校を回って生徒を募集したのですが、当時は高校に2,000~2,500社もの求人が来るような時代だったため、大工学校は相手にされませんでした。それでも何度も各高校に足を運び、先生方とコミュニケーションをとって信頼関係を築きながら、大工学校が果たす価値や、職人育成の重要性を伝えました。次第に求人票の上の方に大工学校の案内を載せてもらえるようになると、4、5人の入学者が来てくれたんです。
大工学校での学びは、職人のなり手の確保のみならず、技術力のある職人の輩出を担うことでの業界の発展にもつながる。しかし、大工学校を立ち上げたものの生徒が集まらず、経営が立ち行かなくなり閉校せざるを得ないケースも散見される。同校が1997年の開校から、今なお約30年間にもわたり岐阜県という地で存続できているのはなぜなのだろうか。
藤井さん: もともと岐阜県内には、高山市などにも大工学校がありましたが、すべて閉校してしまいました。閉校した大工学校の共通点は、1年制で1年間毎日研修を行う学校だったということです。一方、本学は2年制で週1日の通学としています。1年制の場合、その年の入学者がいなかったら運営はできませんが、2年制の場合はその年に入学者がいなくても、2年生がいるので成り立ちます。それでも、職人を志す母集団自体が減っている時代ですので、今も生徒集めは各高校を回ったり、加盟事業者を募ったりして地道に活動しています。
また、白川の地に開校したので、最初は距離が離れた当社の名古屋本店の大工は通学が大変だろうと受け入れていませんでした。それでもどうしても本学で学びたいという者がおり、受け入れるようになりました。週1日、早起きして頑張って通ってくれています。

実際の授業の様子。取材当時の2024年度は、1年生3名、2年生7名が学んでいた。
国産材「東濃ひのき」を活用した家づくり 全国の工務店を率いて山々と林業を守る
現在、同社に在籍する8割の職人は、同社で育った棟梁や大工だという。その技術をもってなすのが、白川町の約9割を占める山林から排出される銘木「東濃ひのき」をふんだんに使用した家づくりだ。同町は高級茶として知られる「白川茶」の産地として有名だが、林業もまた主要な産業である。白川で生まれ、山々に親しんで育った藤井さんは、林業の変化を肌で感じながら育ったという。
藤井さん: 昔の家は真壁に柱を立てていましたから、いい柱は値段が張り、その分つくり甲斐もありました。今は柱を隠す大壁が主流となり、どんな材を使っても表からは見えなくなりました。さらに、平成に入って広がったプレハブ工法により、国産材を仕入れて手刻みする機会もぐっと減っていたんです。外国産材に押されて国産の木材の価値が下がると山を離れる人も増え、手入れされずに荒れていく森林が増え、心が痛みました。
それでも、「東濃ひのき」に囲まれて育った私は、故郷の山を守りたいという気持ちがあります。地域の気候風土に適した住まいをつくるためには、その地域で育まれた素材を使うことが一番であるとも考えています。「東濃ひのき」を当社のブランド価値としてアピールして流通させることで、地域の林業事業者さんにもきちんと利益が残るようにしていきたいです。

寒暖の差の大きい東濃地方で育ったひのきは年輪の幅が細かく均一で強度に優れ、油が多く傷みにくい。また、材質は淡いピンクで艶があり、香り高いという。同社では耐久性に優れ、狂いが少なく、その土地にしっかりとなじむ「東濃ひのき」を土台や柱などの垂直構造材に使用している。出典:新和建設HPより https://www.sinwanet.co.jp/building/qualit/
国産材は安価な外国産材に押され、昭和30年代(1955〜1964年)には8割を超えていた木材の自給率は、2002年には過去最低の2割未満まで落ち込んだ。その後徐々に上昇するものの、2022年でも4割程度である。同社は「東濃ひのき」を使い続けることはもちろん、国産材を使用した家づくりを全国に広げなければ、日本の山と木材を守ることができないと課題意識を持つ。そこで、2005年には、当時社長だった吉村さんが発起人となり、国産材を使用した家づくりを行っている工務店が全国レベルで連合した団体「地球の会 NPO法人 環境共棲会」を発足した。
活動内容として、「日本の木の家づくり」サミットを1年~1年半に1回、全国で開催。住宅関係者が一堂に会し、日本の森林資源の保全と循環型社会の構築を目指して交流・研鑽を図っている。さらに、分科会や委員会、次世代経営者の交流と研鑚や情報交換を目的とした「あすなろ会」を開催。まとめた意見やアクションプランをもとに行政にも働きかけ、山々を守るべく工務店との連携を進めている。

写真左:「日本の木の家づくり」サミットの様子。毎回250〜400名が集い、のべ2,000名以上が参加。写真右:全国の会員工務店が一斉に開催する「林産地見学ツアー」の様子。ふだん森林に触れることのない一般消費者を森や製材所にご案内し、国産材の家づくりの意義を伝えている。出典:地球の会 NPO法人 環境共棲住宅HPより https://www.chikyunokai.com/action/
藤井さん: 地元産の木材を多用し、地元の職人が精魂込めて作り上げる高耐久住宅こそが注文住宅の真髄ではないでしょうか。これは、「地球の会」が掲げる理念でもあります。国産材での家づくりを続けるには、お客様に国産材の魅力や外国産材との違いを伝えられなければなりません。これが意外と難しく、きちんと説明できる人が少ないんです。だからこそ、県と協力して、木の家の強みや、国産材を使うメリットをまとめた資料を作り、営業で活用しています。
国産材は湿度調整機能に優れ、その香りや手触りにほっと人を落ち着かせる効果があると感じています。そして、日本の木材、地域の木材を家づくりに活用すれば、優良材・高級材が生産されて利益が生まれたり、地域の雇用が創出されます。林業が活性化し、山が十分に手入れされれば、土砂災害などのリスクが減り、豊かな水源を育むことにもつながるんです。
林業の活性化と日本の自然環境保全は切っても切り離せない関係であり、長期計画で取り組まなければならない課題だ。ひいては、同社のような特色ある地場ビルダーの発展にもつながっていくだろう。
新和建設の大工の根幹棟なる心の教育 正しい道を歩める環境を整備
匠の技の伝承と国産材の活用という、同社の経営を司る「不易」について伺ってきた。「家づくりは、全て人が為すこと」という想いのもと、木・技・心を土台に職人の育成にあたってきた藤井さん。新和建設の大工としてあるべき姿について、「何より人を大切にする心がなければ一人前にはなれない」と語る。
藤井さん: 創業メンバーの吉村と私は、中学卒業後すぐに親方に弟子入りし、大工になりました。叩き上げゆえに、どんな人の意見も素直に聞いて、学びながらここまでやってきました。たくさんの教えのなかでも、根幹となるもっとも大切なことは、「人を大切にすること」です。お客様を大切にすること、社員を大切にすること、協力会社の皆さんを大切にすること。この新和建設に関わるすべての人を大切にするということです。これがなければ、今日の新和建設はありません。
そのため大工育成においては、技術以前に、挨拶やマナー、掃除を徹底してもらっているんです。当社では、当初朝昼晩の3回だった現場の掃除の回数を増やし、朝10時と昼3時も加えた1日5回の掃除を行っています。これは住宅産業塾の長井克之さんから「住宅道」の考え方として教えていただいたものです。「お施主さんのお金で家を建てているのだから、現場はきれいにすべき」というのが住宅道の考え方。現場がきれいだと、おのずと散らかさない丁寧な仕事になります。お客様へのアンケートからも、お客様が大工のマナーを重視していることが伺えます。腕のある職人であることももちろん大事ですが、まずは何よりも挨拶や掃除をきちんとして、お客様と丁寧に接することが、お客様の信頼につながるんです。
顧客満足度を重要視している同社は、引き渡し時には顧客へのアンケートを実施する。このアンケートでは、回答の選択肢は「とても満足」か「とても不満」の2つの評価からなり、中間の「普通」の評価を設けていないという。さらに、顧客の声であるアンケート結果を、職人との取引にもシビアに反映している。
藤井さん: アンケートに「普通」を入れると「普通」ばかりに丸が付いてしまうので、「とても満足」か「とても不満」だけにしています。そして、「とても不満」が2回付いた大工・職人とは、厳しいですが、すぐに取引を停止します。大工・職人は、どんな仕事でも手を抜かずにやらなければならないからです。最初から悪い人はいないと思っていますが、人は環境や周りの雰囲気に染まってしまうものです。そのせいで手を抜いてしまうことがあるかもしれません。だからこそ、人が悪い方に流れる環境要因を廃し、正しくまっすぐ歩ける道作りをしていきたいという思いがあります。
顧客に満足してもらえる家づくりのために、技術面にとどまらず、人としての教育にも注力している同社。その姿勢は社内や学校内での教育にとどまらず、協力会社との関係構築にも見られる。
藤井さん: 仕事上のコミュニケーションは一時の関係であり、本音で話せる関係までは築けないと思います。だからこそ、当社ではゴルフや懇親会などのイベントも多数開催し、社内外問わずプライベートな話や相談もできるような環境づくりを心がけています。そのおかげか、美濃加茂支店は協力会社さんからのリフォーム工事紹介が80%にのぼります。新築の紹介率も45~50%ほどあり、協力会社さんからも信頼をいただいていると感じています。
「地域の工務店として共同体を築く上で、信頼関係は欠かせません」と話す藤井さん。社内外問わず人を大切にする心は、協力会社の満足度を高め、さらに仕事の紹介という形で実績につながっていた。
家づくりが工業化しても揺らがない大工の手仕事と心遣い
近年では、「超CS構法」の導入により、「桧の木造軸組」と「耐震パネル」を一体化させた家づくりに取り組んでいる同社。時流に乗った変化を受け入れつつも、大工が手がける手仕事への想いは揺らがない。
藤井さん: 「超CS構法」では、パネルは工場で作られています。効率的で手間かからない家づくりが増えましたが、職人の手仕事による、木をふんだんに活用した家づくりにしかなせない魅力があると考えています。例えば、階段一つとっても既製品があるなか、せめて階段だけは自分らで作りたいという大工の姿を見ると嬉しくなります。当社を選んで来てくださるお客様は、木の家づくりにこだわりをもち、大工に作ってもらいたいという方が多くいらっしゃいます。こうした想いに応え続けるため、家づくりの工法が発展しても、「家づくりは、全て人が為すこと」である以上、当社が継承する大工の心と技は今後も価値を発揮していくでしょう。

大工学校で生徒が作った階段。階段は大工工事の要所でもある。リフォーム工事では、急な階段をなだらかにするケースも多く、大工の技が求められるという。
藤井さん: これからも地域の皆様に信頼され、必要とされる会社でありたい。そのためにも、創業時からの想いを忘れず、時代の要請に応えていく「不易流行」の姿勢で事業を継続していきたいです。
2015年にグッドデザイン賞を受賞した「大工育成ビジネスモデル」にもとづく大工育成と、新和建設の大工の根幹である心の教育を見てきた。さらには、国産材「東濃ひのき」を活用した家づくりと、全国の工務店を率いて山々と林業を守る取り組みは、「不易流行」を掲げる同社の揺らがない「不易」である。
家づくりの本質は「不変」であるとする同社。顧客の家づくりに対する願い、さらには家族の幸福の実現を真摯に追求することこそ、同社が掲げる揺るがない信念だ。時代が変化しても本質から目を背けず、その実現を担う大工を育成することで、同社ひいては業界の発展に寄与している。
Vol.2では、そんな同社の「不易流行」の「流行」に迫る。高い顧客満足度を実現する仕組み、さらにはANDPADを活用した生産性向上と業務の標準化について掘り下げていく。

大工学校の校舎前にて。左からアンドパッドの渡部、新和建設の藤井さん、アンドパッドコミュニティマネージャーの平賀。今後もこの学舎から木・技・心を重んじた若き大工が輩出されるのが楽しみだ。
URL | https://www.sinwanet.co.jp/ |
---|---|
代表者 | 代表取締役社長 𠮷村 浩人 |
設立 | 1969年 |
本社 | 愛知県北名古屋市野崎山神15 |