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2024年1月1日、多くの帰省者でにぎわう元旦の夕方に、マグニチュード7.6、最大震度7の地震が能登半島を襲った。2025年10月の時点での死者は672人、そのうち災害関連死は444人。死者の大半は石川県に集中しており、輪島市が232人と最も多く、次いで珠洲市、能登町、七尾市、穴水町、志賀町と続く。負傷者の合計は2,079人にのぼる(※1)。
能登半島地震は、震源地に近い自治体の住宅にも壊滅的な被害をもたらした。住宅被害は合計で165,376棟。そのうち全壊が6,536棟、半壊は23,693棟、一部破損135,122棟となっている(※2)。石川県輪島市の市街地では火災が発生し、観光客に人気だった朝市の周辺エリアが約49,000平方メートルが焼失した。また、石川県内では、死者659人(うち災害関連死は431人)、住宅被害は116,411棟。地震の影響による複合災害として土砂災害が456件発生し、37人の死者が出ている(※3)。
(※1)参照:「令和6年能登半島地震に係る被害状況等について」内閣府P1,2,3https://www.bousai.go.jp/updates/r60101notojishin/r60101notojishin/pdf/r60101notojishin_59.pdf
(※2)参照:「令和6年能登半島地震に係る被害状況等について」内閣府p33https://www.bousai.go.jp/updates/r60101notojishin/r60101notojishin/pdf/r60101notojishin_59.pdf
(※3)参照:「令和6年能登半島地震に伴い石川県輪島市で発生した大規模市街地火災に係る消防庁長官の火災原因調査報告書<概要版>」総務省消防庁
P1https://www.fdma.go.jp/singi_kento/kento/items/post-149/02/shiryou1.pdf
インフラ・ライフラインの被害も甚大だった。電力は最大4万戸で停電(※4)、上水道は近隣県を含め最大約13.6万戸が断水に。電力は地震発生の1カ月後に9割は復旧したが、水道は復旧まで数カ月ほど時間を要した地域が多く、輪島市と珠洲市の一部地域では断水が5月まで続いた(※5)。
(※4)参照:「令和6年能登半島地震の対応について」経済産業省P3https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/hoan_shohi/denryoku_anzen/denki_setsubi/pdf/020_01_01.pdf
(※5)参照:「令和6年能登半島地震を踏まえた上下水道の強靱化について」国土交通省P3https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/suisinkaigi/joukyou_dai8/siryou3.pdf

アンドパッドは2024年、この能登半島地震の復興に関わる株式会社宗重商店(石川県金沢市)に密着取材をした。宗重商店は、地震で被災した建物を自治体が所有者に代わって解体・撤去する「公費解体」に尽力してきた解体工事会社だ。
宗重商店は、2020年からANDPADの本格運用をはじめ、施工管理・情報共有の効率化を図っており、「仕事でANDPADを使うのは当たり前」と社内で認識されるほど利用が浸透していた。今回の公費解体事業においても、全国から応援に駆けつけた協力会社と情報を共有する基盤としてANDPADを活用。協力会社にはANDPADでの現場の記録と報告、品質管理を義務づけた。

さらに今回は、公費解体事業とは別の角度から復興に取り組んでいる三協フロンテア株式会社(千葉県柏市)にも取材の機会を得た。
三協フロンテアは、「モバイルスペース」と呼ばれるユニットハウスの普及に取り組むパイオニアだ。建物の移動が容易にできるだけではなく、資材の再利用も可能にした資源循環型のビジネスモデルは、環境負荷の軽減・職人不足といった社会課題の解決にもつながると注目されている。
また、三協フロンテアは、災害時の応急仮設住宅としてユニットハウスを供給する復興支援に長年携わっている。1995年の阪神淡路大震災を皮切りに、2011年の東日本大震災では約2,000戸、2016年の熊本地震では365戸の応急仮設住宅を供給。そして、能登半島地震においても応急仮設住宅の建設に参加し、宗重商店が公費解体事業の拠点としていた穴水町のベースキャンプにもユニットハウス3棟を建てている。
「1日でも早く、被災者の方々の日常を取り戻す」——そんな使命で結ばれた2社には、ともにANDPADを活用して有事を乗り越えてきたという共通点がある。2社はどのように困難を乗り越え、驚異的なスピードで復興の「兆し」をつくりだしたのか。現場を主導してきた2社のキーパーソンに詳しくお話を伺った。



職人に安心して作業してもらうために、まず生活の場を整備
能登半島地震の公費解体事業は、宗重商店の宗守さんが副会長を務める「石川県構造物解体協会」(※6)が石川県から一括受注し、協会の正会員に工事が発注されている。そのなかで宗重商店は、穴水町のブロック長を担当。ピーク時には85班400人が穴水町に入り、宗重商店の管理のもと解体工事を行ってきた。
(※6)石川県構造物解体協会https://www.ishikawa-kaitai.com/
その穴水町では、2025年10月末時点で2,781件の解体が完了。特に被害が大きかった6つの自治体のなかで高水準の解体進捗率を維持し続け、いちはやく解体率100%を達成した(※6)。

(※7)参照:https://www.pref.ishikawa.lg.jp/haitai/documents/r701107_kouhikaitai_shinchoku.pdf「加速化プランに基づく公費解体の進捗状況(令和7年10月末時点)」石川県
一方、三協フロンテアは災害復興支援で培ってきたノウハウを活かし、応急仮設住宅の建設に着手。2024年8月までに535世帯の応急仮設住宅の建設を完了させた。
宗守さんと浅利さんは、いずれも地震発生後すぐに被災地へ駆けつけて支援にあたっている。まずはお二人に当時の状況を伺った。
宗守さん: 私たちが穴水町ブロックの担当に決まったのは、2024年2月の終わりごろです。3月末〜4月初旬には1件目に着工する予定を組んでいたので、急ピッチで準備を進めなければならない状況でした。

株式会社宗重商店 代表取締役 宗守 重泰さん
宗守さん: 最も苦労したのは、全国から応援に来てくれた協力会社さんが宿泊する拠点探しです。ホテルや民宿などの宿泊施設は軒並み被災していましたし、町営住宅は被災者の方々を優先的に受け入れていたため、「工事会社に紹介できる町営住宅はない」と役場から言われてしまい、焦ったのを覚えています。空き家バンクにも物件を紹介してもらいましたが、大勢の作業員を受け入れられる施設は廃工場のような場所しかなく、宿泊には適していませんでした。
それでも、全国から来てくれる協力会社さん、当社の社員のためにも何とかしなければと思って役所と交渉し、今ベースキャンプを置いている「ふるさと体験村 四季の丘」の建物と敷地を確保しました。ただ、4月になってもまだ電源は不十分でお湯も出ず、準備に向かった社員から「寒くて眠れない」と連絡が入るような状況でした。
凍える寒さのなかで作業をして宿舎に戻っても、温かい部屋でゆっくり休めない。これでは現場で働く皆さんのモチベーションが下がってしまうと思い、役所から許可を得た上で、職人さん一人ひとりの個室を備えたユニットハウスを建てました。5月には、シャワー・トイレ・洗濯機を完備した厚生施設も整備し、協力会社さんが安心して生活できる土台を整えました。

「ふるさと体験村 四季の丘」のグラウンドに建てられたユニットハウス。Wi-Fi環境も整備されている。
浅利さん: 私は地震発生から1週間ほどたった1月8日に現地入りしました。まだ被害の全容がわからない状況のなか、当社として「とにかく一日でも早く」という使命感で現地に向かったので、被災地の様子を目の当たりにしたときに「これは大変だ」と衝撃を受けたのを覚えています。
私は、土地の情報が来たらすぐに現地調査へ向かい、応急仮設住宅の配置計画を検討して、着工の手配をしていく役割を担っていました。予定した引き渡し日に合わせてユニットハウスの施工を完了できるように段取りを組んでいくのが主な業務です。
最初に現地に乗り込んだメンバーは私を含めて3人で、最終的には10人体制で対応しました。富山県高岡市に宿泊していたのですが、当時は道路状況が悪く、今は片道1時間半で着く道のりを3時間ほどかけて穴水町へ通っていました。

三協フロンテア株式会社 建築施工統括部 東北施工管理部 部長 浅利 浩司さん
宗守さん: 当社のユニットハウスは三協フロンテアさんの製品なのですが、あっという間に出来上がって本当に驚きました。朝は何もなかったのに、夕方戻ってきたらもう建っているという状態でしたね。
浅利さん: 20部屋くらいの物件であれば、1日で建物の「箱」を完成できます。さらに、3日あれば、冷暖房付きで寝泊まりできる個室を用意することが可能です。ただ、浴室やトイレなどの水回り、そしてしっかりとした断熱性を持たせた建物として行政の検査をクリアし、正式に使用開始できるようになるまでには、最短でも2週間ほどの期間を要します。
宗守さん: 全国から応援に来てくれた協力会社さんの一番の関心事は、やはり「宿泊場所が確保できるか」ということでした。少しでも早くと無理なお願いをしてしまいましたが、早期に拠点を整えていただいたことに本当に感謝しています。「個室の宿泊先がある」とお伝えすると、協力会社さんの反応も良くなりましたし、その後離れていく方々も少なかったように思います。このユニットハウスがあったからこそ、最大400人の作業員を迎えられました。

宗重商店・三協フロンテアの双方の尽力によって、全国からの協力会社を迎える住環境は整っていった。ただ、「食の問題に対応するのも大変だった」と宗守さんは振り返る。
宗守さん: 当時は飲食店もファミリーレストランも営業しておらず、道路状況が悪かったため物資が届くのも遅くなり、インスタント食品さえも手に入りづらい状況でした。地元のスーパーにお弁当を発注したくても、「今200食を作る余裕はない」と断られてしまいましたね。数軒のコンビニは営業していましたが、営業時間が8時開店・18時閉店と短く、現場に行く前や作業後に食事を調達するのが難しい状況でした。

「私も穴水町に通っていたころはコンビニのお世話になりました」と浅利さん。ある意味、お二人は「同じ釜の飯」を食べていた仲間と言える。
宗守さん: そこで、「食」の問題も自分たちで何とかしようと、ベースキャンプに厨房設備を用意し、ユニットハウスに宿泊している職人が利用できる「四季食堂 / みんなのチカラ食堂」を開設しました。調理は、地震によって営業が困難になってしまった飲食店経営者の方やスーパー勤務の方にお願いしました。
住環境を整えた上で、朝晩は温かい食事を、昼にはお弁当を支給したことも、協力会社さんにとっての安心材料になったと思います。協力会社さんが私たちの求める品質を一緒になって追求してくれたのは、この宿舎があったおかげです。まさに復興に向けた原動力のひとつになったと思っています。
浅利さん: 工事に取り組む方々が安心して生活できるように、まず「衣食住」を整えるところからはじめられたのはさすがだと思います。私たちを選んでくださって感謝していますし、お役に立てて嬉しいです。

解体工事と応急仮設住宅建設。それぞれの持ち場で被災地の「希望」をつくる
石川県構造物解体協会から穴水町の担当に指名された宗重商店と、一般社団法人プレハブ建築協会を介して穴水町の担当に決まった三協フロンテア。宗守さん、浅利さんともに「縁あって穴水町に呼ばれた」と、この偶然を笑顔で話す。
それぞれの持ち場で、被災地の風景や生活を1日でも早く元通りにしようと尽力されてきたお二人は、どのような想いを持って日々の活動に取り組んできたのだろうか。
宗守さん: 私は石川県の人間ですから、一瞬にしてこれまでの生活を失った同郷の方々が大勢いる現実に呆然としましたし、つらい避難生活を余儀なくされている状況にも胸が痛みました。
倒壊した建物が長く街に残り続けていると、被災者の方々は「復興への道のりは遠いのだろうか」と不安を抱くものです。更地が増え、街の風景が変わっていくのは被災者の方々にとっては新しい変化ですし、復興への兆しを感じられる希望になります。今までのような暮らしを取り戻してもらうためにも、被災した住宅を1日でも早く解体し、更地にすることが私たちに与えられた使命と思って取り組んできました。とにかく現場を先へ先へ進めていこうと、がむしゃらに取り組んできたことが解体進捗率をトップクラスで維持し続けられた理由だと考えています。

浅利さん: 私たちが建設している応急仮設住宅は、被災によって家を失い、避難所に身を寄せている人たちのためのものです。被災者の方々が安心して暮らせる環境をつくるためにも、1日でも早く応急仮設住宅を建てることを使命と考えて日々取り組んできました。
特に、私が常に頭に置いているのは引き渡し日の厳守です。着工前に設定した入居可能日は、被災者の方々にとっての希望です。その引き渡し日が1週間、10日と延びてしまったら被災者の方々は相当落ち込むでしょう。ですから、引き渡し日だけは遅れないように管理を徹底し、工事を進めてきました。実際に当社の担当物件は100%期日を守ってお引き渡しをしています。

有事の際に求められるのは、自ら動く姿勢と素早い意思決定
被災者の方々の「希望」を生み出すために、異なる領域でそれぞれ尽力してきた宗守さんと浅利さん。お二人とも、自社のメンバーだけではなく、全国から集まってきた協力会社とともに仕事をし、自治体職員とも連携しながら、復興への道のりを歩んできた。では、お二人はどのようにして現場やチームをリードしてきたのか、普段から意識していたことを伺った。
宗守さん: 振り返ると、私自身が誰よりも現地に行き、陣頭指揮を取ったからこそ、社員もついてきてくれたのだと感じています。その場その場で判断しなければならないことも非常に多かったので、経営者としての意思決定と業務の執行を同時に進めるためにも、能登に身を置く覚悟で日々取り組んできました。
逆に言えば、能登以外の解体工事や通常業務はほぼ100%社員に任せていたので、社員の負担は大きかったかもしれません。ただ、それほどの覚悟を持って集中して臨まなければならない事業だったと感じています。
浅利さん: 私も一番意識していたのは、スピーディーな判断です。「ここにも応急仮設住宅を建ててほしい」といった要望が次々に上がってきていたので、とにかく素早くジャッジをして現場に指示を出していました。少しでも意思決定が遅れると施工日や入居可能日に影響が出ますし、何より周囲からの期待もあって「明日まで待ってくれ」とはとても言えない状況でした。
また、協力会社さんとの信頼関係構築も意識していましたね。初めて一緒に仕事をする方々ばかりだったので、どうやって信用してもらおうか、試行錯誤しました。やはり当社を信頼していただけないと協力会社さんにしっかり動いてもらえないですし、品質も担保できないですから。

運用フェーズが異なる2社、それでもANDPADは大きな効果を発揮
有事の際に求められるリーダーシップについて、お二人が共通して意識していた「意思決定」。普段の業務とはかけ離れた環境でスピード感を持って意思決定をするためには、関連情報の収集は欠かせないだろう。
宗重商店は、2020年よりANDPADを社内の業務基盤システムとして運用し、KY報告や写真管理、資料管理を行い、現場の情報共有と施工管理の効率化を進めてきた。一方、三協フロンテアがANDPADを導入したのは2023年。関東エリアで情報共有基盤としての利用がスタートして1年が経ったころだった。では、今回の2社の動きにANDPADは貢献できたのだろうか。
宗守さん: 当社は、今回の穴水町の公費解体事業において、全国から応援に来てくれた協力会社さんに「ANDPADを利用する」ことを発注条件にしていました。なかにはスマートフォンを触ったこともない職人さんもいたので、写真撮影や日報の入力・送信の方法などは丁寧に指導しました。担当者は本当に大変だったと思いますが、新規入場者教育時にANDPADの利用方法を徹底的にレクチャーをするなどの努力の甲斐あって問題なく写真や報告が上がってくるようになりました。
ピーク時には、能登半島での公費解体工事の現場100件と能登半島以外の現場50件が同時に動いていました。これだけの件数を社員の巡回で確認しようと思ったら、人がいくらいても足りませんが、ANDPADの利用をルール化したことで遠隔でも現場の状況が確認できるようになりました。経営陣や施工管理担当に加え、本社で請求を担当する事務員、複数現場を持っている協力会社の番頭さんなど、全員で状況確認ができたのは大きなメリットでした。
ANDPADで常に現場の状況が可視化されているので、気になること・トラブルにつながりそうなことがあればすぐに指摘ができて、品質や安全を保てました。その結果、穴水町はクレームやトラブル、事故が他のエリアと比較してもかなり少なかったと感じています。

また、宗守さんは、「ANDPADのお知らせ機能も品質向上に役立ってくれた」と話す。
宗守さん: 例えば、産業廃棄物を運搬する際、道路に廃材を落とさないように気をつけて運転していても、道路事情が悪いとどうしても落ちてしまうことがあります。地域の方から協会にご意見をいただくこともありましたが、そのときにはANDPADの [会社からのお知らせ機能] を使って翌日には全班に通知をしていました。また、通行止めや迂回路の情報、運行ルール、熱中症の注意喚起などもお知らせ機能で伝えてきました。皆さんANDPADを見る習慣がついていたので、わざわざ全員に電話をしたり、FAXをしたり、メッセージアプリで送信するような手間が削減できました。


「宗重商店さんの使い方を聞いていると、報告やチャットでの連絡もANDPADに一元化したほうが便利そうですね」と納得する浅利さん
三協フロンテアは、現在関東エリアのみでANDPADを運用しており、全国展開はこれからの状態だ。東北エリアを担当する浅利さんは、能登半島地震での応急仮設住宅プロジェクトにおいて、はじめてANDPADを利用したという。有事の際に新しいツールを活用することについて、苦労はなかったのだろうか。
浅利さん: 今回はじめてANDPADを利用しましたが問題なく使えたと思います。特に黒板機能は便利でした。あらかじめANDPAD黒板でテンプレートを作成しておけば、手順通りに抜け漏れなく写真撮影ができたので、入社1年目・2年目の社員でもスムーズに仕事に馴染めたと思います。もしANDPADがなければ、丸1日かけて資料を作成してから写真撮影に行ったりと、かなり時間がかかっていたでしょう。

浅利さん: 東日本大震災のときは、施工管理だけではなく、設計部門からも多くの若手社員が現地に行き、応急仮設住宅の設計・施工を実地で経験しました。決して災害は起きてほしくはないのですが、いざというときのために災害復旧にあたる技術や知識を継承していくのは、当社としても大事な取り組みだと考えています。
今回、現場経験の浅い新入社員でも、ANDPADのフォーマットに沿って業務を進めれば、公共事業において大きなウェイトを占める写真管理を任せることができるとわかりました。熟練のノウハウがなくても仕事ができる状態が構築できたのは、被災地支援の持続可能性を高める上でも大きな成果だったと感じています。


「第二のふるさと」となった能登半島、復興の歩みを今後も支えていく
石川県と環境省が対応方針を策定した今回の公費解体プロジェクト。最終的な解体棟数は約44,000棟(※8)と想定の倍以上になったが、宗重商店をはじめとする県内の解体工事業者、全国の協力会社の迅速な連携体制が成果を生み、年内には石川県内の解体工事が完了する見込みだ。穴水町で働く協力会社のために建てたユニットハウスも、11月には役目を終えて解体される。プロジェクトの終わりが見えてきた今、改めてお二人の想いを伺った。
(※8)参照:https://www.pref.ishikawa.lg.jp/haitai/documents/r701107_kouhikaitai_shinchoku.pdf「加速化プランに基づく公費解体の進捗状況(令和7年10月末時点)」石川県
宗守さん: 先日、穴水町の地元のお祭りに参加させていただいたのですが、そのときに本当に多くの方から感謝の言葉をいただきました。住み慣れた愛着のある家を解体することになり、本当につらい思いをしているのは被災地の方々なのに、私たちにお礼や激励の言葉をかけていただける。こんなにありがたいことはないと感じました。現場で解体工事にあたってくれた社員、応援に来てくださった協力会社の皆さんにも改めて感謝したいと思います。

浅利さん: 私は、2024年11月以降は地元に戻って仕事をしていたのですが、久しぶりに穴水町に戻ってきて、「わずか10カ月でまちの印象はこんなに変わるんだ」と驚きました。その間、宗重商店さんたちがこのユニットハウスから現場へ通って復興を力強く推し進めてくださったのだと考えると、私も感慨深いです。
宗守さん: このユニットハウスを今後どうするか、今検討しています。これから能登半島で土木工事や道路舗装工事が始まっていくので、ユニットハウスを移設してまた新たな拠点として再利用することも考えています。
浅利さん: 普通の建物と違い、建物をそのまま移動したり、増減築・撤去が簡単にできるのが当社のユニットハウスの強みです。また能登半島のどこかで再利用していただけたら何より嬉しいですね。

また、同じANDPADを利用する企業として、今回のプロジェクトを全うされたお二人に、有事のデジタル活用で得た教訓を教えていただいた。
宗守さん: 今回のプロジェクトで、「考える」というアナログな部分はデジタルに変えることができないと痛感しました。例えば、ANDPADの機能を活用して、日々のKY報告を選択式にして入力してもらったのですが、結果として現場の危険予知を自分で考えなくなるきっかけになってしまい、ヒューマンエラーが起きてしまいました。そこで、現場の状況を見た上でフリーテキストで入力してもらうようにしたところ、徐々にヒューマンエラーが減りました。
デジタル活用は、決して現場作業を楽にして人を怠けさせるためのものではありません。デジタルの力でヒューマンエラーをなくし、品質や安全性を高めていくのが一番の目的だと再認識しました。
浅利さん: 現場に行かずとも遠隔で様子が確認できるのは、デジタル活用の大きなメリットですが、今回のような緊急事態の場合、まず実際に人が現地に来て、一緒に汗をかくことが欠かせないと改めて感じました。
ただ、宗重商店さんの取り組みを伺って、全国から応援に来てくれた人たちとのやりとりにANDPADが十分活躍してくれるとわかりました。今後もアンドパッドさんと一緒に活用方法を考えていきたいと思います。

「震災をきっかけに現地に入り、能登の自然の豊かさ、人の温かさを改めて感じた」と話す宗守さん。浅利さんも「穴水町の方々には本当に良くしてもらった」と振り返る。最後に、お二人に今後の展望を伺った。
宗守さん: 私は、これまで穴水町にあまり足を運んだことがなかったのですが、今では担当したのが穴水町で良かったと思いますし、このまちが本当に好きになりました。穴水町は、自分の人生を振り返ったときに必ず思い出す、第二の故郷です。だからこそ、穴水町の再生・復興は何よりの楽しみですし、今後自分の経営者人生をかけてお手伝いしていきたいと思っています。
浅利さん: 宗守さんと同じように、私にとっても穴水町は大きな存在になりました。応急仮設住宅から被災者の方々が退去して、その住宅を解体するまでが私たちの仕事です。まだまだ長い道のりではありますが、その礎を築いてくれた宗守さんをはじめ、宗重商店さん、協力会社の皆さんに感謝したいです。本当にお疲れ様でした。

「被災地の方々が1日でも早く安心して暮らせるように」と、宗守さんは公費解体事業に、浅利さんは応急仮設住宅供給に身を粉にして取り組んできた。復興の第1フェーズを担ったお二人から未来につなぐバトンが渡され、いま復興に向けて新たなまちづくりが進んでいる。
今回、平時からANDPADを活用していた宗重商店も、初めてANDPADを利用した三協フロンテアも、いずれもANDPADによって業務効率化を図ることができたのは、私たちにとっても大きな励みとなった。同時に、今回2社が得た知見を今後の機能開発、有事の活用に反映しなければならないと強く感じた取材となった。

ベースキャンプのある「ふるさと体験村 四季の丘」にて。(左から)コミュニティマネージャーの平賀、宗守さん、浅利さん、アンドパッド彦坂
| URL | https://munejyu-kaitai.com/ |
|---|---|
| 代表者 | 代表取締役 宗守重泰 |
| 創業 | 1939年 |
| 本社 | 石川県金沢市畝田西1丁目112番地 |
| URL | https://www.sankyofrontier.com/ |
|---|---|
| 代表者 | 代表取締役社長 長妻 貴嗣 |
| 設立 | 1969年 |
| 本社 | 千葉県柏市新十余二5番地 |

















